江戸宮

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聞きなれたチャイムがなってピリリとした空気が一瞬で緩んだ。
挨拶は省略で、と簡潔に言った物理の先生は足早に教室を去った。
先生もお腹すいてたのかも。だってもう4時間目だし。
ふぅ、と息をついて腕を伸ばしたり近くの友達と購買の約束を取り付けていた人は購買へと駆けたりみんな思い思いの時間を過ごしていた。
かく言う私もその中の一人で先生とはやくお昼が食べたいなとぼんやり思考していた所。

「ね〜また居ないの〜?どこいっちゃったんだろうね〜」

「ん〜わかんない、先生運動神経悪いくせに逃げ足だけは早いんだから!あきらめるかぁ……」

教室の後ろのドアから落胆したような、まるで恋する乙女みたいな声色でそんな話し声が聞こえた。
友達曰く音楽のあの先生を好きになってしまったらしく毎日その影を探しているのだとか。
ふーん、と適当半分で聞いていれば「あ、今アイツのこと考えてたでしょ。も〜はやく行った行った!」と半ば追い出されるようにして見送られ教室を後にした。


「せんせー、お邪魔します……」

「あ、…もしかしてあいつが言ってた…!」

ドアを開けて開口一番、知らない人の顔が目に入る。
一瞬女性かとも思ったけどこの美貌からして音楽の……先生の近くにいるあの人…。
焦った私は何を思ったのか否定の言葉が口から出た。
人は焦るとよく分からなくても否定してしまう生き物らしい。

「え、……っと違います。」

「えー人違い?…じゃあ俺のファン?」

「それはもっと違います!」

暫く考えた様子のその人がいい案を思いついた!とでもいうかのように顔をあげてそう宣った。
違う。全く違う。どれぐらい違うかと言ったらもうブラジルと日本ぐらい。真逆である。

「え〜?それも違うかぁ…ん〜〜」

頭を抱えて悩み出したその人は美しい姿とは裏腹にいちいち動きがアニメチックだ。
冷酷なイメージが勝手にあったが案外面白い人みたいだ。勝手に苦手意識をもっていたのが申し訳なくなる。
本当のこといってもいいかな、と口を開きかけた時立て付けの悪いドアがガタガタと音を立てた。

「先生!」

「…ちょっと呼び出されちゃって、ごめんね。てか貴方まだ居たの?……変なことされてない?大丈夫?」

「人を変態みたいに言うなよ!」

私を背中の後ろに隠して先生はそう言った。
いつも美人なあの人の顔がクシャッとなって楽しそうに笑う。
先生も見たこともないような表情で笑っていた。
私の知らない先生の一面を垣間見てしまったようで胸がザワザワとうるさい。

「だって貴方ずっと会いたいって言ってたじゃないの。なにかしたんじゃ……」
「お前ほんっと失礼だな〜!」

ひとしきり笑ったその人は今日はここで食うから!とどこからともなくお弁当を出して私の隣にドン!と座った。
だからいちいち動きがアニメチックなんだってば。

「…いいな〜お前、こんな健気に好かれたらそりゃ揺らぐわな、……君がちょっと羨ましいや」

「はぁ?な、なに言ってんの。ほら、はやく食って帰って」

「……全く素直じゃないなぁ、ね?」

笑みを称えたまま私に意見を求めた先生の瞳は心做しか寂しそうであった。
美貌をもって先生と近しい関係にあるこの人が私は心底羨ましい。
でも結局はないものねだりの範疇を超えることは無いのかもしれない。


2024.3.26『ないものねだり』

3/26/2024, 11:44:51 PM