病室
6人部屋の病室だった。
お見舞いに行ったら、ベッドの祖父が財布から五千円を取り出し僕に渡した。
なに、これ。何か買ってくるの?
靴買ってきなさい。
爺ちゃんの?サイズいくつ?
違う。お前の。
なんで?
足音がうるさい。
足音? 僕は自分の靴を見た。新品の五万円の革靴。
カッカッカッて、遠くからでも聞こえる。他の人に迷惑だから。
爺ちゃんは仏頂面でそう言った。
病室を出てエレベーターまで歩く間、自分の足音に注意を向けてみた。確かにうるさいかも。爺ちゃんも同室の人に気まずかったのかな。悪いことしちゃったな。
翌週。
スーツには合わないと思ったが、ほんの三十分程度だ。駐車場でスニーカーに履き替えて病室へ。
りんごをテーブルに置くと、祖父は財布から今度は一万円を取り出して、
ネクタイ買え。ちゃんとしたやつ。
え、これだめかな。イギリスのメーカーのなんだけど。
いいから。もっと良いの買え。みっともない。
うん。 僕はそんなにだめかなと思いつつ、一万円を受け取った。
祖父の死後。祖母と母から教えてもらったが、足音を聞いて、来たな、と祖父はすぐに気づいたそうだ。全く、音がおっきいんだよ、といいながらも笑っていたらしい。
靴もネクタイも、最後に孫に何かしたいという気持ちの表れだったんだろう。ああいう性格の人だから。素直になれず。最後までああいう人だったから。
スニーカーはさすがにボロボロになったので捨ててしまったが、ネクタイはクリーニングを欠かさない。
ここぞというときの勝負ネクタイだ。
8/3/2024, 12:38:00 AM