SAKU

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秋の訪れをしんみり楽しめるような気分のまま、人生を終わらせられるなら、それに越した事はないと思う。

わたしがある先生のカウンセリングに同席していた頃、相談者は女子高生の両親だった。その女子高生は被害者だった。言葉には出来ないほどの集団暴力を受け、人生を終わらせるか他に方法はないのか、これからの人生をどうすればいいのか…、それくらいの相談内容だった。

被害者だと思っていたその女子高生は、実は、自分がされたと同じ事を女友達にしていて加害者でもあった。恋愛関係のもつれからの仕返しの、仕返しだったと言う。

事実が分かるにつれて、結局裁判する事となり、先生からは、「これ以上は貴女の精神が持たないと思うから、席を外してください」と、言われ、その後その案件がどうなったかは分からない。

カウセリングルームは、いつも清潔で窓には淡い色のカーテンがかかっていて、外からの風と臭いやら香りやらが入ってきて、短い毛足の絨毯は柔らかい桃色で、そこに固めの座布団を敷いて正座して話しを聴いた。

秋には金木犀の香りも入って来た。
わたしは、自分が感じた事は、その場では言えない。と、いうか決して言葉にしても、表情に出してもならず。顔色を買えてもいけない。心に残してもいけない。

カウンセリングが終わったあと、先生だけに感じたまま思うままを話す事が許された。どう思うかなんて、なかなか言葉にする事が出来なかった。

ただただ、【世の中は広い】。そう思った。悲惨で凄惨で悲しい辛い事は、今この瞬間も裏の裏で密かに処理されている。

わたしが、見て聴いた事などほんのわずかな隙間から覗いた事に過ぎない。


こんな長閑な場所に住む事になって、
たまに、あの日々が、ふつと蘇ってくる。
【あの内容について、今後、何かを思ってもいけない】、と言われたのに。


汚れ仕事なのだ。信仰を持つということは。神様を信じると言うことは。

汚い場所を指し示されて、『お前が見るのだ、お前が聴くのだ』と。
だから、、、なのだ。

世の中を、嘆いているだけでは、とうていその意味など見つかるはずがない。




10/2/2025, 8:47:29 AM