お題 言葉にならないもの
僕は、辞書が好きだ。電子ではなく、紙の、分厚い鈍器のような彼らが好きだ。
初めは本、いわゆる誰でも読む一般的な本が好きだったのだが、いつからかありとあらゆる辞典をめくるようになり、気づいたらその先まで手を伸ばして、とうとう辞書に辿り着いた。
気になった言葉を探すことよりも、適当に開いて、そこから目に付いた言葉や文字を探す方が何よりも楽しい。
新たな発見はもちろん、新鮮さを感じたり懐かしさを感じたり哀しさを感じたり、辞書には喜怒哀楽がたくさん詰め込まれていると思う。正直、単にそれで済ませたくないのが僕の本音だ。パズルみたいにカチッとハマるものではないんだと、力説したい。
これを友人に話しても首を傾げるばかりで、さほど興味がなさそうにしている。ふーんという、お馴染みの言葉で。
それでも、数少ない友人がいる僕にとっては、聞いてくれること自体が凄くありがたい。
耳を傾けてくれるだけで、それだけで安心できる。
友人は、辞書を隠したりしないし、ビリビリに破いたりしないし、投げつけたりしない。僕のことを少しおかしな奴だと笑うくらいで、普通に接してくれている。
中学生の時、辞典を抱えた僕の腕から、いじめっ子はひったくったうえ、校舎の窓から投げ捨てられ、トイレに入れられ、チョークの粉を落とされ、とまあ散々にやられた。
僕自身に危害を加えるならまだ耐えられる。自他共に認める陰キャだったから。けど、辞典が痛めつけられるのは僕にとって拷問以外何物でもないのだ。
その痛々しい傷跡を見るだけで涙が止まらなかった。
叫んでいたのに、鈍足な僕は助けることができなかったのだ。やられる度、新しい子を買おうかいつも迷った。本屋まで行って、手を伸ばしかけたこともあった。でも、裏切るようで、目を逸らすようで、結局どの子もツギハギだらけのままになった。彼らは今でも僕の戸棚の一番に見える位置にいる。
辞書は、友達だ。親友だ。悪友だ。心の友だ。
いつだって僕を出迎えてくれて安寧を与えてくれる。
はたして、この言葉が、僕と辞書の関係を表すものなのか未だに分からない。それこそ、辞書の中を泳いで探す旅に出てもいいかもしれない。しばらく深く潜っていないから、新種が見つかるかもとワクワクしたところで、でもと立ち止まる。
探し当てても、きっと腑に落ちないだろう。
だって、時には貪りたくなるし。これは怪獣みたいだなと思う。じゃあ捕食の関係…?
いやいや。時には抱きしめたくなるな。決して枕と勘違いしてるわけじゃない。ぬいぐるみに近いけど、感情の入れようが違う。セラピーとセラピスト…?
でも、時にはじっと見つめたくなる時もあるぞ。
何もせず、呼吸だけでいい。背表紙をずっと、ずっと。それだけで腹が膨れる、感覚がする。栄養分てことは、木と根っこ?
この感情は、関係性は、言葉にならないだろう。
きっと、いつまでも。
8/13/2025, 2:08:35 PM