薄墨

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あじさいは幾何学的だ。
花弁ひとつひとつは、折り紙を思わせるきっちりとした菱形で、規則正しく並んでいる。

あじさいは科学的だ。
土のph濃度がアルカリ性寄りならピンク、酸性寄りなら青く咲く。

あじさいはモザイク壁画に似ている。
律儀な菱形の花弁は、規則正しく集まって並び、丸いあじさい独特の形を型作っている。
リトマス試験紙で作ったモザイク壁画みたいなものだ。

あじさいには雨が似合う。
道の端に植えられたあじさいは、雨を一身に浴びながら、その雨粒を生き生きと煌めかせて、柔らかく映えている。

雨に濡れると惨めでみすぼらしくなる私とは、全く正反対だと思う。

顔に張り付く髪を払いながら、私はゆっくりと道を歩く。
傘をさした同級生が横を通り過ぎてゆく。

私は不均等だ。
家族関係は歪だし、友人もあまりいない。
得意不得意が激しいし、なにより脚が均等じゃない。

私は非科学的だ。
非合理的なことを平気でする。
わざと雨に濡れるし、外部の変化に対して鈍い。

私はモザイク壁画に向いていない。
協調性がないんだと思う。
クラスにも学校にも家庭にも馴染めない。

私は良い子ではない。
でも、困ったことに、私はそのことをさして不幸だとは思ったことがない。

あじさいの葉脈の上を、飴色のカタツムリがゆっくりと這っている。

空を見上げる。
春雨のように細くて銀透明な、でも春雨よりは遥かに重量のある水が、灰色の空からパラパラと落ちてくる。

私は雨が好きだ。
雨は、不思議で、美しくて、優しくて、柔らかい。
雨粒に濡れて、体の恒常性の温みを感じていると、薄くて柔らかな潤いのあるバリアに守られている気がする。

そっと、雨に手をかざす。
続く悪天候にイライラしているのか、今日はいつもよりたくさんの、周りの人の視線が、バリアに突き刺さる。

梅雨の素敵さが分からないなんて、少し可哀想だ。
あの人たちは、あじさいの美しさも、雨粒を見上げた時の不思議さも、体温を戻そうとする指先の温さも、濡れたプラスチックの接合部から伝う冷たい優しさも、閉じた傘の柄を流れる雨粒の柔らかさも、知らないまま生きていくのだ。

あじさいは規則正しく咲いている。
あじさいの根元を、鮮やかな黄緑のアマガエルが跳ねている。

あじさいの葉は、雨粒の重みに垂れている。
盛り上がった葉脈を、カタツムリが這っている。

雨粒が温かい頬を伝う。
私は傘の柄を握りしめて、歩き出す。
プラスチックに変わった脚が、ギギィと軋む。

あじさいの花壇は、ずっと続いている。
雨はどんなものにも、優しく、平等に、降り注いでいた。

6/13/2024, 2:03:05 PM