sairo

Open App

夜の帳が下りれども、街は眠る事なく。


「明るいね。ちょっと前は暗かったのに」

昼と然程変わらぬ明るさを保つ街並みを横目に、猫は足取り軽く歩いていく。
目的は特になく。気の向くままに進路を変える。

「おい待て、猫。勝手にふらふらするんじゃねぇ。それと百年以上前は、ちょっととは言わん」
「確かに。人間にしてみれば、五十年すら長いな」

猫を追う影は二つ。深い蒼の瞳を持つ、人の形をとった蜘蛛が二人。
早足で近寄り、猫の首を掴んで持ち上げた。

「こら、猫を子猫のように持ち上げるな」
「うっせぇ。だったらおとなしくしてろ。着いてく方の身にもなれよ」

蜘蛛の言葉に、猫は不機嫌そうに激しく尾を揺らす。
小さく唸りを上げれば、もう一人の蜘蛛は手慣れた様子で猫を抱き上げ喉を擽る。途端に唸りは機嫌良く喉を鳴らす音に変わり、尾もゆらゆらと穏やかに揺れ出した。

「今日は何処に行くの?」

喉を擽る指はそのままに、蜘蛛が問う。それに猫は知らぬと答え。けれどもその眼は街の端、明かりの潰えた空き家に向いている。

「あのボロ屋か?物好きだな」
「行こうか」

猫を抱いたまま、蜘蛛は歩く。
道行く人々は未だ眠らず。けれど誰一人として、猫と蜘蛛らを気にかける者はない。

端に近づくにつれ騒めきは遠く、明かりは乏しく。
その家の周囲だけ、時が止まったかのように暗く静けさを保っていた。

「瑪瑙、猫を下ろせ。銅藍と待ってて」
「分かった」

地に降り立つと同時。猫の姿から人へと化ける。
一つ伸びをして、呼び鈴を押した。

「…はい」
「夜にごめんなさい。道に迷ってしまったの」

暫しの静寂。
近づく人の気配。かちり、と玄関の明かりが点いて。

その瞬間、遠くの明かりがすべて潰えた。


「こんな所に人が来るなんてねぇ。迷ったといってはいたが、誰かに会いに来たのかい?」
「昔の知り合いを訪ねに来たのだけれど。家には行けないし、暗いしで。どうしてしまったのかしら?」

街を振り返り、首を傾げて猫は言う。
その言葉に出てきた初老の女性は息を呑み、次いで悲しげに目を伏せた。

「ここはねぇ。数年前に大きな事件があって。街の中の人はだぁれもいなくなったんだよ。今残っているのは、あたしら端に住む年寄りぐらいなものさ…だからあんたの知り合いも、いないだろうねぇ」
「そうですか。教えてくれてありがとうございます」
「気を落とすんじゃないよ…それより今日はもう遅いからね。何もないが泊まっていくかい?」

気遣わしげな女性に、猫は笑って首を振る。

「大丈夫。少し立ち寄っただけだから、迎えはあるの。それじゃあ、さようなら」
「気をつけるんだよ」

女性に見送られながら、蜘蛛の元へ。
迎える二人を連れて歩き出す。

街の中は暗く。遠く微かに呻く声が聞こえ。

「何がどうなってんだよ。これ」

街の端。ぽつりぽつりと灯る明かりに、不可解さを隠さず蜘蛛は言う。
猫は欠伸を一つして。元の猫に戻るとゆらりと尾を揺らす。

「見るものすべてが正しくはないだけさ。よぉく覚えておくといいよ…世界はたまに逆しまになるからねぇ。迷い込んだら、気づくまでそのままさ」

くつくつ笑う猫はとても上機嫌で。
再び足取り軽く歩き出す。
目的はなく。気の向くまま、好きな方へ。

「そろそろ出会って半年だ。色々覚えて、立派なイチニンマエになるんだよ?」
「何だそれ?つか、出会って半年じゃなくて、五百年じゃねぇのか?」

問いかけに、猫は立ち止まり蜘蛛を見る。

「人間と猫を一緒にしてはいけないよ。五百年だろうと千年だろうと、猫が思えば半年だ」
「屁理屈か…なら一人前っつうのはなんだよ?」
「半年過ぎれば立派な大人だろう?独り立ちをしなければ」

当然の事だと告げる猫は、その言葉に表情を険しくする蜘蛛の二人に気づかない。

猫は自由気まま。思うまま。
誰かの機微になど気にかける事もない。

「さて、次は何処に行こうか」
「それなら今度は人のいる街で、美味しいものでも食べないかい?」
「それはいいな。猫は今、肉が食べたい気分だ」
「じゃあ行こうか。おいで、猫」

呼ばれ差し出された手に擦り寄り、大人しく抱かれる。顎を擽ぐられれば、すぐに喉がなった。


猫は気づかない。
優しく抱かれ、喉を擽るその指が。
少し乱雑に頭を撫ぜるその手が。

猫を縛る糸を巻きつけている事を。
猫を飼い慣らす為の呪いを施されている事を。

猫は気づかない。
ただ蜘蛛といるこの時を、猫なりに楽しんでいるだけだ。



20240709 『街の明かり』

7/10/2024, 3:14:04 AM