ぼたん丸

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「あら、何書いてんのよ?」
「日記。」
「日記?飽き性のアンタが?」
「やかましーわ。続けるし、多分。」
「多分って。なんで急に日記なんて書こうと思ったの?」
「別に。何となく書きたくなっただけ。」
「ふーん、すぐ飽きるわね。」
「うるせ。」

そんな会話をしたのが、もう遠い昔のことに思える。
アイツが死んで一週間、忙しすぎて日記のことなんてすっかり忘れていた。
クローゼットから引っ張り出した、樟脳の匂いがする喪服のまま、安っぽいノートを開く。
五冊一組で売られているようなノートの一番初めには、お世辞にも綺麗とは言えない字が綴られていた。

『今日病院に行ったら、脳に腫瘍が見つかった。
もう手術でもどうにもならないくらいになっているらしい。
余命は一年半。入院するか聞かれたけど断った。家にはそんな金ないから。
いつ死ぬかわからんし、とりあえず今日から日記をつけよう。
俺の飽き性が発揮されないことを祈る。』

「……飽き性って自覚はあったんだ。」

日記は、一日か二日おきに書かれていた。
普通日記って毎日書くもんじゃないだろうかと思ったが、飽き性のアイツのことだ。
ぱらぱらと捲っていくと、その日あったことや食べたものが綴られている。
時々、病院へ行ったときの記録もあった。

『頭痛と吐き気が酷い。朝起きられないし、食欲もない。入院を勧められたけど、しない。
死ぬなら家で死にたい。』

「頑固な奴……」

日記は次第に飛び飛びに、内容も短くなっていった。
筆跡も乱れ、読めない字も増える。
何か水分が垂れ落ちて、滲んだ字もあった。

『怖い 痛くて眠れない こわい、いたい。
しにたくない』

「……そんなこと、一言も言ってなかったじゃない。」

死の直前まで、アイツはあの飄々とした腹の立つ態度を崩さなかった。
なのに、本当は死ぬのに怯えていた。
一言だって弱音は吐かなかったし、弱った姿すら見せなかったのに。

死の一週間前、日記は途切れた。
強い筆圧で文字を書いて、そのページを破りとった痕跡だけがある。
ぐしゃぐしゃになったページを流し見していく。
四分の一ほど残ったノートを閉じようとしたとき、一番最後のページに文章があるのに気がついた。

『多分お前はこの日記のこと覚えてるだろうから、お前宛に書いとく。
病気のこと隠しててすまん。でもホントに、もうどうしようもなかったんだよな。
何しても死ぬっぽかったし、お前に知らせてジメジメすんの嫌だったから。
お前多分、怒ってるよな。イライラしたまま喪主とかやってくれてんのかも(てかやってください)。
怒って周りにあたって、それで抜け殻みたいになってんだろ。俺にはわかる。
お前は不器用だから、俺がいなくなってどうすればいいかわかんねぇと思う。
なので、言いたいことが一つある。
俺のことはさっさと忘れること。それがお前の幸せのため。
わかったらこの日記は捨てて、俺の私物も全部捨てて、もう一回歩いていくこと。
そうすればお前は、一人で立ち直れるから。

最後に、これだけ。
一回も言わなかったけどお前のこと、めっちゃ好きだから。』

「…………馬っっっ鹿じゃないの!!!」

ノートを閉じて、投げ捨てようとして、やめる。
否、出来なかった。
だって、だって。
自分はアイツの異常に気が付かなかったのに、アイツは自分のことを、こんなにも。

「馬鹿じゃない……馬鹿よ、ほんと……忘れさせる気、ないじゃないの……」

視界が滲む。嗚咽が漏れる。
どうして、アイツが死んだ。
世界中に数多いる人間の中で、どうしてアイツが選ばれた。
どうして自分は、一人になった。
喪服がぐしゃぐしゃになるのも構わずに、その場に蹲った。

『まぁまぁ、そんなに泣かねぇで。』

自分の泣き声に紛れて、呆れたようなアイツの声が聞こえた、気がした。


[閉ざされた日記]

1/18/2024, 11:20:19 AM