◆ 起天昇落 ― 序章 ◆
夜の底は、まだ揺れていた。
風ひとつないのに、黒い雲だけがゆっくりとうねり、天が何かを思い出そうとしているようだった。
少年は、その下に立っていた。
名を 凛(りん) という。
胸の奥で、微かな震えが続いている。
それは恐怖でも期待でもなく、もっと曖昧で、もっと古い感覚だった。
――呼ばれている。
そう思った瞬間、空が裂けた。
光でも闇でもない、“天”としか呼べない何かが降りてくる。
凛の足元の影が揺れ、背中に熱が走る。
視界の端で、四つの文字が淡く浮かび上がった。
起天昇落。
天を起こし、昇り、そして落ちてもなお天を見上げる者。
それは、選ばれし者にだけ刻まれる“宿命の名”だと伝えられていた。
「……なんで、俺なんだよ」
呟きは風に溶けた。
だが天は答えない。ただ、静かに、確かに凛を見ている。
次の瞬間、身体が浮いた。
地面が遠ざかり、空が迫る。
重力が裏返り、世界が反転する。
昇る。
落ちる。
そしてまた昇る。
そのすべてが、凛の中でひとつの軌跡となって刻まれていく。
――これは逃れられない。
――だが、終わりではない。
天の光が凛の瞳に宿ったとき、彼はようやく理解した。
これは呪いではなく、始まりだ。
そして物語は、静かに動き出す。
2/2/2026, 4:12:12 PM