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暗がりの中で

彼女の側に仕え始めた時の事を今でも覚えている。
屋敷にお邪魔した時、目を疑った。
屋敷には誰一人居なかった。それどころか明かりすらもついていない。
ろうそくを焚いて、初めてお嬢様の姿を確認した。
私が自己紹介をすれば、彼女は嫌そうな顔で私を見つめておられたのがとても印象に残っている。

お嬢様の名前は…教えてもらっていない。なんでもいいと言われたので、
お嬢様。
そう呼ばせて頂いている。

お嬢様は私が屋敷に居ることがお気に召さないようで、いつも私を怒鳴りつけた。
特に今でも認められていないのが紅茶だった。お茶菓子には手を出すが、紅茶だけは嫌いのようで、手をつけずに悪態をつく。

私も怒鳴りつけられてばかりで、大好きな紅茶も否定されてしまったので、私も少々嫌悪に思ってしまった時もあった。それでも、いつしかお嬢様に認められるようにお世話をし続けた。

そんな日々が続いていたある日の事だった。

深夜2時頃、私が部屋で寝ていると「コンコン」と扉を叩く音が聞こえた。
目を覚ますと閉め切っていてもわかるほど外は大雨に襲われていて、時々雷が鳴っていた。
私はおそるおそる部屋の扉をあけると、そこには大きな布のような物を抱きしめたお嬢様が立っていた。
「…お嬢様、どうかされましたか?」
私がそういう前に、お嬢様は
「…眠れない。」
そうつぶやいた。この時のお嬢様の声はいつものような怒鳴り声とは打って変わって、信じられないほど心細そうな声だった。

「薔薇園の暴君」
「屋敷の悪魔」
お嬢様は世間からそう呼ばれていた。しかしお嬢様はまだ15〜17ぐらいの子供だった。

そうだったのに、私は彼女の仕草や様子ですっかりその事に気づかなかった。
私はあっけにとられていたが、我に返ると、すぐさまお嬢様を部屋へと招き入れ、明かりをつけた。
明かりをつけてわかったが、お嬢様が持っていたのは大きな黒猫の人形だった。

私は紅茶を入れようと部屋から出ようとしたが、お嬢様がそれを許さなかった。
「離れるな」
お嬢様は私の腕をつかんでそう命令をされた。
命令に背くことはできない。でもお嬢様を落ち着かせる方法が他に思いつくことはなかった。
私が悩んでいると、お嬢様はぽつりと恥ずかしそうに口を開いた。
「…隣で、寝て欲しい。」

私はお嬢様を布団の隣へ寝かせると、明かりを消してそっと布団を被せた。
雷の音でお嬢様は人形を抱きしめて怖がっていたが、私がそっと肩を優しく叩くとお嬢様はこちらを見て安心したように笑った。
この時、私はお嬢様の笑い顔を始めて拝見した。
始めてお嬢様の役に立てた。
とこのときばかりはとても嬉しかった。


あれから私の中でお嬢様の印象が変わった。
マーマレードを作っている私をうろうろと見てくる。昔は困惑や疑問、謎すぎる行動などとしか思えなかったのに、いつしかそれが可愛らしく思えていた。
お茶やお茶菓子にいつものように悪態をつくが、下げようとするとそれを止めて苦そうに紅茶を全て飲みきった事にも気づいた。

私は、悪態をつけてくる主人としか考えれず、今までお嬢様の優しさに気づけなかった。
あれから私は、もう一度お嬢様の笑顔を拝見したいと願っている。

それと同時に他の感情も主張してくる。
私はきっと、執事失格だろう。
お嬢様の優しさに気づけたのは良かったが、こんな想いに気づくぐらいなら…




暗がりのまま見えない方が良かった。

10/28/2023, 10:48:19 AM