夫婦
澄み渡る水色の空。
雲一つない晴天に、柔らかく差し込む太陽。
白いレースカーテンを照らし、自然と背筋が伸びるような気持ちにさせてくれる。
小さなウォールナットのローテーブルに、私と、もう一人彼が向かい側に座っている。
晴天から一点、私たちは今後について考えていた。
別れるとか、そういうことでは無い。
むしろその逆だ。もう付き合っている期間が長い。そろそろ結婚も視野に入れるべきか、どうかという話し合いをする。
「俺ははっきり言うと、お前と結婚したいって考えてるよ。」
真面目な顔をして、照れる様子を一ミリも見せることなく私に言った。
彼の気持ちは、とても嬉しい。私の事を考えて、そしてずっとそばにいてほしいと願ってくれているのだから。嬉しくないわけが無い。
彼に対する好意を疑ったことは無い。それは事実だ。
デートしたり、プレゼントを貰ったりあげたり、自分たちの限られた時間の中で、合間を縫って連絡をしたり。そういうちょっとした事が、私は楽しかった。
しかし、それはカップルという関係だからであるからだ。
勿論カップルで同棲している人達もいるというのは知っている。しかし、私は実家暮らし、彼は一人暮らしなので、一緒に住んでいる訳では無い。
今ここで会話している場所は、彼のお家だ。
私達がここまで続いたのは、それぞれ自分のために使う時間があったからだろう。
私には私の、彼には彼の生活があり、趣味がある。
二人で会う時間と、その時間がはっきり区別されていたから、今があるんだろう。
しかし、結婚するとなるとそうはいかなくなる。
お互いの認識では、同じ家に住むことになり、今の生活からだいぶ変わる。
生活を共に送り、日常の中に彼がいるということになるわけだ。
寝る時も、食事をする時も、休んでいる時も。
それが苦痛に感じるとかではない。ただ、それによって今の関係にヒビが入り、もう二度と今のように話せなくなってしまうのではないか。そう考えてしまうのだ。
慣れてしまうから、逆に慣れずにいつまでも他人行儀になってしまい、疲れてしまわないか。
そんな不安が頭にもわりと浮かび上がった。
軽い埃が溜まっているような頭では、安易に「うん」と頷けなかった。
「……あのさ、聞きたいんだけど」
私は彼の「結婚したい」という要望から少し方向を変えた。
「なんで、結婚したいの?」
純粋な疑問だった。
別に今の関係でも楽しいし、このままでもいいのではと思うふちが私にはある。
しかし、彼はその一歩先を進んでみたいと、つまりはそう言っているのだ。
なぜ一歩進みたいのか、今の関係ではいられなくなる不安はないのだろうか。
「えっ、なんで結婚したいか!?……うーん」
予想外の質問だったらしい。彼は素っ頓狂な声を出して驚いた。
「逆に聞くけど、お前は俺と結婚したくない?」
「それが分からないんだよね。」
「分からない?」
「なんか、別に今の関係のままでもいいかなって……」
怒られるだろうか、自分が思っているより、私の想いがそこまででは無いということを。
そんな事じゃ怒らないと思うが、大事な話をしているのだ。心の中じゃ何を思っているか分からない。
「……俺はさ」
私の考えを聞いた彼はしばらく考えた後、言葉を告げた。
「いやさ、確かに俺も今のままでも十分楽しいよ。全然今の関係に満足してないわけじゃないよ。もちろん。」
怒られる、そんなのは杞憂だったようだ。
「でも、俺は…もう、付き合って期間も長いんだし、次の関係に進んでもいいと思うんだ。」
お前が嫌なら、全然今のままでもいいんだけど、と少し零す。
「結婚したいとは言ったけど、俺だって夫婦ってのが、どんな関係なのか分かんない。だから、一緒に探していきたいと思ったんだ。」
「二人だけで分からなかったら?」
「俺の両親とかお前のご両親にも積極的に協力してもらおうぜ。相談乗ってもらったりとかさ。」
「……一旦距離を置く、とは言わないんだね。」
「夫婦になろうって言い出した本人が、距離置く前提で話進めているわけないだろ。」
あ、一人の時間も大切か。と彼は呟いた。
「それにさ、夫婦になれば、もっと、守れると思うんだよな」
守る。あまりにも抽象的で、どこかの少女漫画に出てきそうなセリフだ。
しかし、今までの経緯を丁寧に説明してくれた彼だ。聞けばきっと真面目に返してくれるだろう。
「守る?」
「いや……もうそういう事言う時代じゃないって分かってるけど……夫婦になるってことはさ、もう好きだって気持ちだけじゃ生きていけないんだよ。」
「うん。」
「経済的にも、生活的にも、生きていくために、歩いていくためにはそういう事も考慮しなきゃいけない。」
「だから……その、気持ち悪いこと言うかもしれないけど、お前とそういう関係になりたくなった。」
歯切れが悪いように彼は言った。
「そういう責任が伴ってくる関係に、なりたいと思ったんだよ。『俺と結婚してるから、この人は渡せない。俺がこの人を守っているからだ。』みたいな……かっこわり、これじゃ酷い独占欲だ。」
はは、と眉を下げて彼は頭をかいた。耳元がうっすらと色付いてるのが、短い髪から見えてくる。
こちらも、少しだけ身が硬くなる。熱が少し帯びた気がした。
「……色々言ったけど、良かったら、前向きに考えて欲しい。俺は、本気だよ。」
紅潮させた顔をそのままにし、彼は私と向かい合った。
……そうか、夫婦になるという事に、彼はそう考えているのか。
私は、彼の考えを聞いてそうなのかとも思ったけど、やはり未だ自分の考えは纏まらない。けれど、一つだけ彼と違うところがあるのは分かった。
「守るのは、貴方だけじゃないよ。」
机の上に結ばれた彼の指先を、自身の手で覆い被せた。
私の手の大きさでは彼の手が少しはみ出してしまう。
「私も、守りたい。」
この先、二人で過ごしていく時、どんな波乱が待ち受けているか分からない。
その時、全て彼に任せっぱなしにして、彼だけが傷付いて行くのは、見たくない。
「傷は半分負うよ。一緒に痛いって叫ぼうよ。」
貴方となら、それでもいい気がした。
抱えた思いはそのままで、新しく覚えた少しの期待を込めて笑いかけた。
彼は目を見開いて、覆った私の手と顔を、視線が行き来していた。
カーテンがそよそよと横に揺れる。
新しい季節を運びにきたような、優しい風だった。
案外、夫婦になる日が近かったりして。
「え、待って、じゃあ今のは――」
「待って。やっぱもう少し時間ちょうだい。」
前言撤回。まだ時間かかりそう。
12/19/2024, 1:52:29 PM