炭酸水はみんな泡になって消えてしまうの?
いいえ、透明な檻に閉じ込められた泡たちが、小さなボトルから逃げ出して、宙へ帰ろうとしているの。
炭酸を口に含むと、逃げられなかった泡たちはぱちぱち弾けながら体内で死んでいく。
私の身体のいくらかは堆積した泡の死体でできているから、もしも泡たちが息を吹き返して逃げて行ったら、私の身体の一部は人魚姫のように、泡となって溶けてしまうだろう。
いま私の隣にいる君は、優しくて、繊細で、ほんの少し臆病だ。
君は辛いのとか苦いのとか刺激が強いものは好まないし、炭酸もぱちぱちするから得意じゃない。
それでも君は、いつも私がソーダを買うたびに、隣で一緒に飲んでくれる。
今日だってほら、君は買ったばかりのきんきんに冷えたボトルをぷしゅっと開けて、透明なソーダを宙に透かす。しゅわしゅわと静かに、けれどたしかに泡粒が宙へ帰っていくのを、黙ってじっと見つめるのだ。
しばらくすると君は、少しぬるくなった炭酸を口に含んで、ゆっくりと舌に馴染ませる。逃げそびれた泡たちは君の優しい舌の上で、眠るように安らかに死んでゆく。
そうして君に殺される泡たちの、安らかな死の音が私は好きだ。
いつも君の方が無口だけれど、ソーダを飲むときだけは私の方がもっと無口になって、泡粒の行方に耳を澄ます。
何度聞いたって結末は同じだ。人魚姫は泡となって消えてしまいました。だからソーダの泡粒も、君の口内という小さな箱庭の中でじわじわと幸福な最期を迎えました。そうして私も泡に混じって、誰にも気づかれぬうちにぱちっと消えてしまう、そんな夢を見るのです。
こんな退屈で小さな私だけのお伽噺が、夏休みの間、君が炭酸を飲むたびに、何べんも胸の内で繰り返される。
あとほんの少し、夏が終わるまで。
『ぬるい炭酸と無口な君』
8/3/2025, 3:10:13 PM