Lacryma

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ある日のことだった
小さな人間が私の森を彷徨っているのを見つけた
「貴女、ここで何をしているの」
そう声をかけると、貴女は瞳を輝かせて私を見上げた
「貴女がこの森に住む妖精さんなの?」
それが、私と貴女の出会いだった

貴女は毎日この森に来た
正直、迷惑で仕方がなかったけれど
人間に何を言っても聞きやしないだろう
せいぜいこの人間が飽きるまで
妙な真似をしないか見張っててやろうと決めた

「ねぇ、この森には花はないの?」
貴女が辺りを見渡しながら尋ねてきた
「花なんてここにはないわ。あるのは緑だけよ」
私はそっけなくそう返した
けれど、貴女はこちらに向き直って笑った
「それなら、きっと私が咲かせてみせるわ」
その時、何故だか少しだけ
貴女が明るく見えた気がした

それから数年の時が経った
ある日から貴女は姿を見せなくなった
何日も何日も森を探してみたけれど
貴女は二度と現れなかった
「なんて自分勝手なんでしょう」
思わずそんな言葉を口にしていた

それからもっと時が経って
またすっかり孤独に慣れた
緑が赤茶に変わる頃、貴女と歩いた道を辿った
ふと、何かの香りがするのに気がついた
私はその匂いを辿った
少し歩いて出た先には
見たことのない大樹が立っていた
美しい夕焼け色の花が舞っていて
まるで星空に散りばめられた星屑のようだった

大樹の傍らに腰をかけた
今の自分の思いがわからなかった
ただ静かに花を見つめていた
視界の端に、枝に下がった布が映った
外してみると、手紙が添えられていた
貴女からだった

"久しぶり、びっくりした?
私、初めて妖精さんを驚かせたかも
この花はね、キンモクセイっていうのよ
私はもうきっと会いに来れないけれど
妖精さんが寂しくないように
この花がずっと側にいるからね"

涙が頬を伝った
今さら気がついてしまったのだ
私は貴女の名前も知らない
ずっと一緒にいた貴女の名前を
私は聞いたこともなかった
ただひとつ確かなことは
貴女の瞳はこのキンモクセイのように
暖かな夕焼け色をしていた

11/4/2025, 4:12:40 PM