「またね」
そう言って、僕は彼の背中を見送った。搭乗口のゲートが閉まり、彼はあっけなく空の向こうへ消えていった。
当たり前のように口にした言葉だったけれど、「またね」なんて、そう簡単には叶わないこともわかっていた。彼が行くのは、海を越えた遠い国。文化も言語も気候も違う場所。数年単位の留学だとか、もう帰ってこないかもしれない、とか、いろんな話を聞いていた。
だから、「またね」と言いながら、心のどこかでは「さよなら」だと思っていた。
──なのに。
僕はいまだに、ほとんど毎日のように彼と電話している。
夕方、バイト帰りの自転車をこぎながら、イヤホン越しに彼の声を聞く。話すことなんて、特別なことじゃない。授業が難しいとか、スーパーの袋が有料でムカつくとか、猫を見たとか、今日はパスタがうまく茹でられたとか。どうでもいいことばかり。
それでも、彼の声はまるで隣にいるみたいに鮮やかで、あの「またね」の日から、時間が巻き戻ったみたいにさえ思える。
「じゃあ、明後日そっちに行くから」
そんな言葉が、ある日の電話の最後にぽろっと落ちた。
え、と間の抜けた声を出してしまうと、彼は少し笑った。
「いや、急に決めた。急だけど、行けそうだから行く」
冗談のようで、本気だった。
あのとき、「またね」と言ったくせに、叶わないだろうと僕が勝手に思っていたその約束が、ほんとうに果たされようとしている。
駅のホームで、僕は彼を待っている。見慣れた車両がゆっくりと滑り込んでくる。そのドアの向こうから、懐かしい姿が現れる。
「よう」
たったそれだけの挨拶が、やけに響いた。
そして僕は、少し照れながら言った。
「おかえり」
テーマ:またいつか
7/23/2025, 12:22:00 AM