sairo

Open App

ひとつひとつ、荷物を箱に詰めていく。
どうして、と何度も繰り返した言葉を呟いて、溜息を吐いた。

箱に収められた私物。本家への集まりのための一時的な滞在であるため、箱一つで事足りる。
そういえば彼女は、旅行など滞在先に多くを持ち込まない性格であったなと思い出す。足りなければ滞在先で調達し、帰りの時には手荷物以外はすべて自宅へと配送する。いつだって身軽な彼女は最後も身一つでいなくなってしまった。

最後に残った文机の脇に置かれた本を手に取る。豪奢な飾りの付いた鍵付きの本は、どうやら日記帳であるらしかった。
時間を見れば、まだあれから一時間も経っていない。彼女もいない。ならば少しくらいのぞき見た所で、誰も怒りはしないだろう。

机の引き出しを開けて、鍵を探す。一番上の引き出しの奥。押し込むようにして入っていた小さな鍵を手に取り、鍵穴に差し込んだ。



――日。
とっても素敵な日記帳を買ったので、今日から日記をつけてみようと思う。
街外れにある、小さなお店。皆は行ってはダメだよと言っていたから内緒で行ってきた。
ドキドキしたけど、特におかしな所はない普通の?というか雑貨屋さん?とにかく私の好みの小物が多くて、勇気を出して行ってみてよかった。なんでダメなんだろう。
ただ店主さんがずっとニヤニヤ笑ってたのが気になった。よそものだから、そういう目で見られるのも分かってはいるけど、見世物みたいで嫌だなあ。
気になるものはたくさんあったけど、次に行くときはこの街に慣れてからにしようかな。


――日。
今日はやけについてない。
逆さまつげが目に入って痛いし、枝毛が何本も見つかるし。それに外に出ようと靴を履いたら中、敷きが裏返しになっていた。誰?いたずらしたの。
何だか体のあちこちも痛いし、今日はおとなしく部屋に籠もっていた。時間がもったいないから、何もしないでいるの好きじゃないんだけど。
明日には良くなりますように。


――日。
体が痛い。
食欲がわかない。食べてもすぐにはいてしまう。
なんで?どうしちゃったの?
あるくのも痛くて足をみたら、つめがうら返しになってた。
なにこれ。どうして。こんな。



――にち。
おかしい。同じ日をくりかえしている。
きのうかいた日にちが、きょうの日にちだ。
ここは、なんか、おかしい。
みぎめがみえなくなって鏡をみたら、目がうらがえしになっていた。
きもちわるい。なんで。
みんなわたしをみている。わたしをみて、わたしのはなしをしている。
やめて。わたしをみないで。


――にち。
いたい。きもちわるい。
みんながへん。わたしとわたしのにっきちょうだけがせいじょうだ。
あしたがこない。
みないで。


――。
いたい。くるしい。
みんな、
    みるの、
           いやだ。





くがねさま、がすくって、くれる。

――――行かないと。




あぁ、と声にならない呻きが漏れる。
これ以上見ていられなく、日記帳を閉じると箱へ投げ入れた。

自業自得だ。この街の禁忌を犯したのだから、こうなるのは仕方がない。
あれほど駄目だと言い聞かせたはずなのに、と今更な事を思ったところで彼女はもうどこにもいない。

この街は異常だ。
触れてはいけない多くの禁忌。本家の離れにいる化生の引き起こす空間の歪み。

化生――クガネ。
彼女に話した事はなかったが、日記に書かれていたのはまちがいなく離れの化け物だ。
古い記録では、本家の当主と契約し守り神としていたというが、今のあれにその面影は欠片もない。
ただ離れの奥の部屋に隠り、時折呪われた者を呼び寄せてその存在を消す危険な存在。
そんな化け物に呪われた彼女が呼ばれ、姿を消した。それは彼女が戻らず、誰の記憶からも無くなるという事を意味している。唯一残るのは、この本家で記された記録だけだろう。
きっと近い内に自分の記憶の中からも、彼女は何一つ残さず消えていくのだ。


ゆるく頭を振り、箱を持って立ち上がる。
そろそろ行かなければ、庭では今頃皆が火を焚いて待っているはず。
部屋を見回し、彼女の私物が残っていないか確認する。これからすべて燃やすのに残っていては二度手間だ。
何も残っていない室内を見て、部屋を出る。
彼女の私物を燃やした後もやる事はある。自宅の荷物の処分。引っ越しの手続き。それらは業者に任せるとしようか。

彼女がクガネに喰われたのだから、きっと明日は来る。それに今後十年近くはこの忌々しい狂った繰り返す日を迎えずにすむだろう。しばらくは本家にやっかいになろうか。仕事もすでに退職届を受理してもらい、有休消化中だ。あちらに戻らなければいけない理由はない。


明日からの事を考えて、口角が歪む。
ありがとう、と口から溢れたのは、彼女への別離の言葉ではなく、感謝の言葉だった。



20240827 『私の日記帳』

8/27/2024, 10:30:39 PM