sairo

Open App

緩やかな流れに、手を浸す。
夜の小川。川上から止めどなく流れてくる星の欠片を、掬い上げては空へと還していく。
求める星は、まだ見つからない。
どれだけ掬い上げても、その煌めきは求めるものではなかった。
煌めく星は剥き出しの感情。還ることを忘れ漂う魂の一部。
死を前にした恐怖や悲嘆、絶望の塊だった。

「――っ」

掬い上げる度、触れる度に手に傷が増えていく。誰かの死を痛みごと垣間見て、苦痛に手が止まりかける。
それでも手を止める訳にはいかない。手を止めた間に流れ去る星が、求めるものであったとしたら。その懸念が、手を止めることを許さない。
そうしてまた、知らぬ誰かの死の痛みを掬い上げることを繰り返す。

求める星は、まだ見つからない。



「何をしているの?」

ふと、声が聞こえた。聞き馴染みのあるような、まったく聞き覚えのないような、不思議な声音。
答えず、手も止めずにいれば、そっと隣から両手を包まれ止められる。
細く、白い手。簡単に振り解けそうな小さな手を、けれども何故か離すことができなかった。

「何を探しているの?」

問われて、どう答えるべきかを迷う。

「――友達」

かつての関係を答えてみる。変わらぬはずだと思っていた言葉は、空しく滑稽に響いた。
自嘲して、傷だらけの手に視線を落とす。

「友達、だった人。勝手に疑って、手を離して。そして置き去りにして……星に攫われた、大切な人」

目を閉じる。
決して忘れることはない自分の罪は、今でもはっきりと思い出すことができる。
星の降り頻る夜。友人の手を引いて、丘の上へと向かった。
そこで、手を引かなければどこにも行けない友人の手を離した。星を追いかける振りをして、置き去りにした。
後悔してもしきれない自分の罪。姉が神隠しに遭い、その場に友人がいた。ただそれだけで神隠しの原因を、友人だと疑った。

「離れて、少し頭が冷えて……慌てて戻ったけど、間に合わなかった。手を取る前にあいつは星に貫かれて、そのまま消えてしまった」

痛みに泣く声。恐怖に流れる涙。助けを求めて伸ばされた手。
忘れたことなどなかった。何度も悪夢に見て、何度もその丘へと足を運んだ。
神隠しに遭った者は、七日を過ぎれば戻る。
姉は戻ってきた。心が壊れた状態で、山の中で見つかった。
友人も帰ってくるのだと信じていた。それだけが希望だった。
しかし、友人は最後まで帰ることはなかった。

「だから、あいつの星を探している。一人ではどこにも行けないあいつは、きっとここにいるはずだから」
「いないよ」

静かな否定の言葉に目を開ける。そうしてようやく声の方へと視線を向けた。
長い黒髪。白の病衣から除く痩せた手足。
見覚えのない、けれども懐かしい空気を纏う少女がいた。

「ここにはあなたの求める人はいない。朝陽を追いかけて、先に進んでしまったから」
「朝陽……?」

呟いて空を見上げた。月が傾き、遠くで微かに白み始めた空に、何故だか泣きたい気持ちになった。

「そういえば、陽の光はまだ微かに感じられるって言ってたっけ」
「うん。だからここで星を追いかけ掬い上げていても、あなたの傷が増えるだけだよ」
「そうか。一人でも行けるのか……ここに留まるだけの未練は、持ってくれなかったのか」

身勝手にも、それを寂しいと思った。
恨みでも何でも持ってくれれば、もう一度手を引けたのに。
友人の心など考えもしない、どこまでも浅ましい自分自身に吐き気がした。

「大丈夫」

優しい声が囁いた。

「朝陽の向こう側で待ってる。一人で、短い生を足掻いている……だから行って」

ふわりと微笑むその姿が、次第に揺らぎ形を失っていく。
そうして少女の姿は消え、手の中にはひとつの小さな星の欠片だけが残った。
小さな、弱い光を纏った星。川を流れて行くどの星とも違う、温かな光を纏う星。
伝わる思いもまた、とても温かだ。
目を閉じずとも、浮かぶ記憶。一夏の、まだその眼が星の光を捕らえることができていた頃の、友人の思い出。
その中に常に自分がいることに、妙な気恥ずかしさと切なさを覚えた。

「ばかな奴。恨んでくれれば良かったのに」

呟いて、今更ながらにそれはないなと笑った。
穏やかで怒ることを知らないような友人が、自分を恨む姿など想像ができない。
見上げる空は、暗い紺から淡い赤へと色を変え始めている。
東雲色。いつだったか、友人から教えてもらった言葉を思い出した。

「――行くか」

立ち上がり、ゆっくりと朝陽の方へと歩き出す。
いつの間にか手の傷はすっかり癒えて、知らない誰かの死の痛みなど欠片も残ってはいない。
本当に優しい友人だ。その友人に報いるために、自分ができることを考える。
病衣。痩せた手足。温かな記憶に僅かに混じっていた、無機質な病室。
間に合うかは分からない。けれどどうか、と祈りにも似た気持ちで朝陽を追いかけた。



朝の光に消えていく夜空に一筋、星が流れていく。
その煌めきに気づかずに、ただ朝陽だけを求めて駆け抜けた。
その星の煌めきが、優しい奇跡を起こしていたことを。

朝陽の向こう側。友人との出会いの場で知った。



20250721 『星を追いかけて』

7/22/2025, 10:13:47 PM