※このお話はひとつ前のお話 #8『病室』 の連作です。
良ければそちらもお読みいただければと思います。
山道。時々道を塞ぐようにこちらへ伸びている草木を軽くどけ、重い荷物を背負い直して歩いて行く。
そこまで急斜面なわけでもなく、標高の高いわけでもない。どちらかといえば初心者向けであろうこの山で、こんな大荷物を持って登るやつはおそらく僕以外いないだろう。
登山道とは反対方向に目をやると、新緑の木々が生い茂り、木漏れ日が静かに草花を照らしている。
綺麗だ。この風景も、作品に落とし込むには十分かもしれない。だがここで時間を使っては本来の目的に費やす時間がなくなってしまう。……先を急ごう。
木々の根が地上に露出し歩き辛い。先日の雨のせいで少しぬかるんだ地面にも足を取られる。時々すれ違う人々に不思議そうな視線を向けられつつ、ゆっくりと歩みを進めていく。
そうして登り続けて一時間程度が経っただろうか。ようやく山頂へ辿り着いた。
特に何があるわけでもなく、休憩用のベンチが数台と、小銭を入れることで使える望遠鏡が二、三台おいてある程度。
だが、景色は見事だ。今いる位置より背の低い山々が連なり、その周囲を新緑が埋め尽くす。朝までは曇っていた空も、いつの間にやら青く澄んでいる。奥の方に小さく視界に映る建物群が、どこか自分が浮世から遠く離れた場所にいるように錯覚させる。
普段見ることのない美しい景色には、やはり人の心を動かす何かがある。
なるべく他の人たちの邪魔にならないところで良い画角の場所を探し、リュックから折りたたみ式の椅子、テーブル、イーゼルを取り出しそれぞれ組み立てる。周囲の視線が刺さるが、気にしない。そして抱えて運んできたカンバスバックから真っ白なカンバスを取り出しイーゼルへ立てかけた。
絵の具や筆、パレットも取り出し、必要な色を揃える。
じっと風景を見つめ、筆を走らせる。
僕は画家だ。高校時代に友人が勝手に絵画コンクールへ送った一枚の絵がきっかけで、この数年でそれなりに名の売れた画家になった。
今日わざわざこの山に登ったのは彼のためだ。
彼はインドア派な僕と打って変わって、登山やらキャンプやらが大好きだった。
綺麗な風景を見つけては僕に写真を送りつけてきたり、一緒に行こうとしつこく誘ってきたり。
その誘いにのったのは一度キャンプに行ったきりだったが、彼の送ってきた写真をもとに何枚か描いたことがあった。
その絵を見せる度に、「お前が実際に見て描いたらもっとすげぇんだろうな」なんて言われた。
だから、描きに来てやった。人の少ない平日昼間に、わざわざ大荷物で山に登ってやった。
景色と向き合い、色を作ってカンバスに筆を走らせていく。
…………。
……………………。
「……できた。」
右端にサインを記し、筆を置いた。
いつから見ていたのかわからないが、いつの間にか背後に集まっていた人たちから拍手を贈られた。
名も知らぬ観客たちに一礼し、全てをしまって帰路へとついた。
次の日。俺は絵を届けるため友人のもとに行った。
部屋の扉を開け中に入ると、真っ白な部屋の中に俺の作品たちが所狭しと飾られている。
山頂からの風景、とあるキャンプ場にある川辺、有名観光地の滝、夕暮れの海と灯台。全て彼が教えてくれた場所だ。
「これで……何作目だ? お前のおかげで体力が付きそうだよ。何で山だの海だの遠い場所ばっか見つけてくるんかなぁ?」
部屋をぐるっと見渡し、飾る場所を探す。
そろそろ飾れるスペースがなくなってきた。天井は流石に迷惑だろうし、飾り立てる用のイーゼルを用意しないといけなくなりそうだ。
スペースをどうにか確保し、今回書いた絵を飾る。
遠目から見ると圧巻だ。壁一面色々な場所の風景が飾られてる。
「……もう、お前が写真を送ってきた場所は全部行った。話題に出たやつも思い出せる限り描いたぞ。」
「なぁ、次はどこに行けばいい? お前はどこの風景が見たい?」
彼からの返事はなく、ずっと眠りについたまま。旅行先で交通事故に遭ってから二年間、ずっと眠り続けている。
彼が事故にあったことを知って、目覚めないかもしれないと聞いて創作意欲がなくなった時期もあった。
でも、僅かな可能性でも、回復するかもしれないことを知った。
だから俺は、絵を描き続けた。描いて、描いて、描いて……ただ、彼のためだけに描き続けている。
彼の好きだった景色、好きだった場所。それらを巡ってカンバスの中に閉じ込め、こうして病室の壁に飾っている。
まぁ、一種の願掛けだ。
「……そうだ。高校近くの公園。あそこはまだ描いてないな。覚えてるか? 春先に花見だってお前が俺を無理やり連れて行ったの。俺は人混み嫌いだって言ってるのに、屋台だなんだって引きずり回して……」
「決まりだ。今度はあそこで描いてくるよ。」
眠り続ける友人の手を取り、両手で包み込むようにして握る。
「……置き場所無くなる前には起きろよ? それまで待っててやるから。」
そっと手を離し、布団の中へ戻してやる。
もう一度部屋を見渡してから、彼へ視線を送り扉へと手をかける。
「じゃあ、またな。」
目を閉じたままの彼に軽く手を振り、僕は病室を後にした。
どうか、彼が目覚めるまでに俺の絵で部屋が埋まり尽くすことがないことを願って。
#9『目が覚めるまでに』
8/3/2024, 12:26:22 PM