『たそがれ』2023.10.01
たそがれ。薄暗くなった夕方、人の顔が判別できなくなり、あのひとは誰かしらと思う「誰そ彼は」と言うことから「たそがれ」というようになったという。
そんなことをパソコンを操作しながら、劇作家の彼は呟いた。
「よく知ってるね」
褒めてやると彼はふふんと得意そうに笑って、俺が作ったキノコツナパスタを食べる。すこしお行儀が悪いが、締め切りも近いということで、大目に見てやっている。
「今回の演目はたそがれがテーマやけんね」
たそがれにはじまり、たそがれに終わる悲恋を今回は描くというのだ。
彼の作風は日本語の持つ美しさを表現したものが多い。なので彼の演目のほとんどが和モノである。
今回は元禄江戸時代を舞台に身分違いの男女の恋を描くにあたって、高校で教師をしていた友人にいくつか史料を用意してもらったという。
「今ほどインフラも発達していないから、夕方とかなったら誰かもわからんよね」
「電気もないもんなぁ」
「たそがれどきに身分はないよね。……あ、今のいい。登場人物に言わせよう」
彼は喜々として自らが発した言葉をパソコンに打ち込んだ。
脚本を書くとき、彼は実に楽しそうにしている。そういう彼を見ていると、あったかい気持ちになるし、微笑ましく思うのだが、せっかく美味しいパスタを作ったのだからそっちに集中してほしくなる。
「なぁ。それおいてさ、一緒に食べようよ」
そう声をかけると、彼は名残惜しそうにパソコンを脇にどけてちゃんと向き合ってくれた。
こういうところが素直で好感が持てる。
「食べながらだと、上手く頭まわんないっしょ」
「それはそう」
ちょっと嫌味ったらしく言ってやると、彼は真面目な顔でうなずいた。
それがかわいくて、一緒に出したサラダからプチトマトを一つ彼のお皿に乗せてやった。
「おれ、トマト嫌いっちゃ」
「うん、知ってる」
これはちょっとした俺からの抗議。
二人きりのときぐらい、俺に集中してほしいというささやかな抗議だ。
10/1/2023, 12:16:09 PM