#1 特別な夜
駅前の時計が二十時を指したとき、街は少しだけ静かになった。仕事帰りの人波が引き、イルミネーションの光が路面にやわらかく滲む。
コートの襟を直し、改札の外で立ち止まる。今日は、特別な夜になる——そう信じたい理由があった。
「待たせた?」
振り向くと、小走りで近づいてくる彼女。息を整えながら、照れたように笑った。その笑顔に、胸は少し早く鳴った。
ふたりは並んで歩き出す。会話は取りとめもないことばかりだ。最近観た映画、寒くなったねという話…。
けれど、言葉の合間に流れる沈黙が不思議と心地よかった。
川沿いの遊歩道に出ると、灯りが水面に揺れていた。
川の向こうで、花火が一発だけ上がる。きっと偶然だろう。それでも、胸の奥で小さく願う。
——この時間が、長く続けばいい。
帰り道、改札の前でふたりは立ち止まる。
「また、会える?」
彼女の声は静かだった。
「うん。次は、もっと寒い夜に」
そう答えた。
電車のドアが閉まる。窓越しに手を振ると、彼女も同じように手を振った。
何気ない一日かもしれない。それでも、僕にとっては「特別な夜」になった。
1/22/2026, 9:22:30 AM