しそわかめ

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天国と地獄

「伊波!」
空から声が響く。聞き慣れたその声に顔を上げて、そのまま彼と入れ替わるように飛び上がった。
「…抜刀。」
静かに、一閃。その一筋は少し離れたところにいる黒い物体二まで全く威力を落とすことなく届いて、やがて真っ二つに切り裂いた。塵のように風に流れるその姿を見届けて、スタッと軽い音を立てて着地する。長い髪が風に靡いた。
「お前さ、」
「何?」
ロウの後ろに着地して、そのまま座り込んでいる自分に目を向けることなく彼が声をかけてくる。
「…やっぱいい。」
周辺確認行ってくる。そう言って見捨てるように立ち去るのに。右手は無線に伸びているし、ほぼ同時に医療班の到着についての報告が来た。素直じゃないというか、なんというか。
「ごめん」
誰にいうわけでもなく、ポツリとつぶやいた。でもきっと、耳のいい彼には届いているだろう。

何かを守るために何かを犠牲にする。それが美学だと思っていた時期があった。それこそがヒーローのあり方だと、存在意義だと確かに信じていた。
でもきっと、彼のような優しい人が涙を流すのだろう。そう思ったら、自己犠牲が美しいなんて言ってられなくなった。誰かが泣くなら、それは救えていることにはならないだろ。

だから生きることにした。それが地獄の様に苦しい道のりで、とても苦しいことだとわかっていても。
死ぬことは簡単だ。正義を免罪符にするのであれば、尚更。
天国はとうに捨てたのだ。これまで浸かっていたぬるま湯から足を洗って、地獄の熱湯に移動する時が来た。ただ、それだけ。

伊波は全てを救いたかった。この手に抱えられるものの全て。善も悪も、他人も友人も、ここに生きているもの全て。

5/27/2024, 1:39:33 PM