薄墨

Open App

山の空気が、肌に張り付く。
暑さの滲む星空の中を、ひたすら登る。

不揃いなブルーハワイのカキ氷のかけらを噛み砕く。
飛んでくる藪蚊を払う。
足元で落ち葉がかさりと音を立てる。
山道には、夏の盛りでも葉が散っているものらしい。

でこぼこの坂道を踏み締める。
黒い闇が目前に続いている。
藪蚊が羽音を立てる。

もうすぐだ。
もうすぐ山頂だ。
もうあとちょっと登れば、視界が開ける。

私は足を引き摺りながら、山道を登る。
道は細い。
人はいない。
暗い闇が沈黙している。

手に持った安物のカップがくしゃりと音を立てる。
溶けた氷が、毒々しいほど青々とした水色の液として、沈澱している。

夏は、生命力の塊だ。
瑞々しい夏野菜。勢い益々に鳴き続ける蝉。ブンブンと飛び回る羽虫。海へ山へと駆けてゆく人たち。

同時に、カラカラの死の季節だ。
暑さに項垂れる萎んだ葉。手のひらで潰れる蚊。アスファルトに干からびたミミズ…。

いつの間にか、星空が広がっている。

登りきった。
眼前に、麓の町。赤提灯にほんのり照らされた、祭り真っ最中の、私たちの町が見える。

足首がジクリと痛む。
もう治らない足首が。

足首に異変を感じたのは二週間前だった。
二週間後に、最後の大会が終わるはずだった。
今日は引退前最後の大会のはずだった。
私がスポーツをこんなに楽しめるのは、人生の後にも先にも今年で最後のはずだった。
だから華々しく最後を飾るつもりだった。

そのはずなのに、今私は、町の裏山にいる。

家に残してきた、いつまで経っても言葉が出ない弟は、今頃泣いているだろうか。
計画性も堪え性もない母は今頃、いつものように町の男を飛び歩いているのだろうか。
練習よりも、シューズを隠すことの方が上手だったチームメイトたちは、今頃あの明かりの中で笑っているのだろうか。

リーー
昼間の騒がしさとは似てもつかない、寂しげな虫の鳴き声が響いた。

私は足を引き摺りながら、切り立った地面の縁に寄る。
誰も覚えていないほどの大昔の落石の跡。
その落石は、旱の時にやってきて、それが古代の人々には神様が遣わしたものに見えたらしい。
石は祀られ、この町の神になった。

今日、夏祭りに出ている神様が宿ったという石。
それがここから落ちたのだ。

下を覗く。
暗い暗い闇が大きな口を開けていた。

私は持ってきた封筒を置く。
何度も使い古されて、ボロボロに角の擦り切れた銀行の封筒っていうのが、惨めさを加速させる。
重しにかき氷のカップを置く。
水色の液体がちゃぷんと揺れた。

足を引き摺って、地面の端に立つ。
空に散らばった無数の星が、瞬く。

ああ、弟も連れてきてやればよかった。
今更、そんなことを思った。

6/28/2024, 12:48:37 PM