かたいなか

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「詳しくはないが、仏教だと、『天国と地獄』っつーより『極楽浄土と地獄』、なんだっけ?」
昨日も昨日だったが今日も今日。固い頭を限界まで酷使して前回の題目を書ききった某所在住物書きであったが、なんと非情なことであろう。
今回の題目も題目で、物書きにとって難題難問。頭を抱え天井を見上げ、ため息をつく案件であった。

「で、詳しくないからこそ分からんのがさ。仏教の輪廻転生思想と極楽&地獄の世界観なのよ。善人は極楽行って即解脱なの?悪人はどうよ?一旦地獄行った後で輪廻に戻るのか?どうなんだろなその辺?」
まぁぶっちゃけ、天国だろうと地獄だろうと、極楽輪廻云々も、あるいは「地獄のオルフェ」でも、信仰してねぇから別に良いけどさ。
物書きは首を傾け、某「カルシウム+サルピス」の乳酸菌飲料によく似た味の般若湯をあおった。

――――――

最近最近の都内某所、某支店、雨降りの昼。
友人に関する諸事情で3月に就職してきた付烏月、ツウキという男が、申し訳無い表情で、
唇をキュッと結び、友人の後輩をチラリ見て、
バツが悪そうに視線を外し、目を閉じる。

後輩の落ち込む様子が、地獄の真っ只中にひとり落とされたようで、痛ましいのだ。
「諸事情」を完遂したため近々離職予定だというところの付烏月に、ずっと職場に居てほしくて。
厳密には彼の作るスイーツと別れたくなくて。

最近菓子づくりに凝っている付烏月。
食うより作る派のため、消費と補充のバランスが行方不明。ゆえに製作物を職場に持ち込んでいた。
茶と共に客に供され、昼休憩に従業員に渡され、
今年度は「当たり年」だと菓子好きの常連は天国。
友人の後輩も、彼の作るカップケーキで日頃の心の傷と化膿と炎症を癒やした。
その天国がサービス終了のお知らせなのだ。

「世の中、仕方無いのよ。お別れの連続なのよ」
支店の常連マダム4人が、ひとつの来客用テーブルを囲み、絶賛地獄滞在中の後輩と悲しみを共有している。彼女達も付烏月の趣味を、すなわち時折職場に持ち込まれるクッキーだのマカロンだのを好んだ。
「いつか別れる。いつか消える、無くす。その積み重なりが人生なの。割り切らなきゃ」
まぁ私も孫のバースデーケーキ彼にお願いする予定だったのを、変更する必要があるから寂しいけど。
私も、彼のボンボンショコラ目当てに入り浸ってたから、これから来店の回数少し減っちゃうけど。
仕方無いわ。人生、こういうものよ。
マダムは後輩の肩を優しく叩き、優しく微笑み、
ニッコリ、何とも言わず、付烏月を見る。

どうやら付烏月の味方は支店長だけらしい。
「付烏月君。あまり気にし過ぎるな」
支店長の手が付烏月の肩を憐れんだ。
「あのご婦人方の得意技だ。クレームもヘイトも迷惑行為も無いが、ああやって感情に訴えて、『お気に入り』の離職を『少しだけ』引き止めるのだよ」
私も10年前ご婦人方に「アレ」で引き止められ、結果ズルズル、今となっては支店長だ。
追加情報を提示する支店長の目は、まっすぐ常連客を見ていたが、付烏月には彼の瞳が少し虚ろに曇っているように感じた。

わぁ。深堀りしたら何か出てきそう。

「あのね支店長。俺、元々俺の用事が済んだらココからオサラバする予定だったの」
「そうか」
「スイーツの差し入れも、ただの趣味の副産物だから、コンビニのとか本職とかよりレベルは低いの」
「そうか」

「なんで後輩ちゃん、たった数ヶ月の同僚に地獄フィーリングになっちゃったんだろ」
「逆に数ヶ月紳士淑女の胃袋を掴み続けて何故惜しまれず離職できると思ったのかね」

仕方無いよ。仕方無いさ。 付烏月と支店長は互いに互いを見て、長いため息を同時に吐いた。
「もちょっとだけ、」
ポソリ呟く付烏月の声に、後輩がまるで地獄から天国へ引き上げられたような輝きで視線を向ける。
「離職するの、待とう、か……?」
常連マダム4名は、穏やかな微笑を返すだけ。
唯一中立を保ちどちらの肩も持たなかった新卒は、
「これが相手を引き止めるテクニックか」と、手持ちのメモ帳にその日の一切を、絶大な話術の威力を、勤勉にしっかりメモりましたとさ。

5/28/2024, 4:31:48 AM