名前の無い音

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『flowers』


小さい頃の夢はなんだったんだろう

幼稚園の卒園アルバムには
『ケーキ屋さん』って書いてあったけど
たぶん100%自分の意思じゃない

何故なら 同じ組の女子のほとんどが
『ケーキ屋さん』だったからだ

(私が『本当にやりたかったこと』って なんだったのかなぁ?)

あまりやりたくない仕事をこなしつつ
ぼんやり ぼんやり そんなことを考えていた

いつも ぼーっとしてるけど
その日は いつも以上に ぼんやりしていて
書類に押したはんこが逆さまだった
窓から見える夕暮れが待ち遠しい
こんな日は 早く帰りたい

考えても 考えても 答えが出ない
そもそも 考える必要も無いのかもしれない

会社を出て 街の人の流れに合流する
世の中の流れは 思った以上に早い

地下鉄の駅に入ろうとしてやめた

(ちょっと歩こうかな)

乗り換えの駅がある 2駅先まで
歩いてみることにした

回りの歩調よりも
少しゆっくりとしたスピードで歩く
普段は歩かない道
だから 気づかなかった建物も多い

あれ?こんなところに お花屋さん??

水色の木の扉 その脇に黒板の看板
『Flowers ~誰かを笑顔にする花束~』

普段は お花なんて買わないけど……
こんな日だからかな? 気になる
不思議な扉 ドキドキしながら開けてみる

「こんにちは……」
「いらっしゃいませ~」

グレーのエプロンが良くにあう お姉さん
こじんまりとしたお店には
お花やグリーン 鉢植え 観葉植物やリースが
おしゃれに飾られていた

「ちょっと……見ても良いですか?」
「どうぞ どうぞ 1本からでも大丈夫ですからね」

お店の中は 緑の香りがした
その中に ふんわりと 凄く優しい 良い香りがした

どこから? キョロキョロして
その香りの元を探す

「あっ これだ……」

花びらが幾重にも重なりあった大きめな花
まだ咲ききらない花は
丸いフォルムが可愛く見えた

「良い香りでしょう?
優しくふわりと香るのが特徴なんです」

お姉さんがニコニコして説明してくれた

「芍薬(シャクヤク)という花です」
「あ これがシャクヤクなんだ……」

私は全く 花に詳しくない
ヒマワリとかチューリップとかバラならわかるけど
芍薬はわからなかった

「きっと このお花が
今日のあなたのラッキーフラワーですよ」

お姉さんがピンクのシャクヤクを手に取りながら
言う

「ラッキーフラワーなんてあるんですか?」
「私はあると思っています
ほら なんとなく気になるお花とか
ついつい手に取っちゃうお花とか」

確かに 引き寄せられたし
気になった 香りだった

「あなたを 笑顔にしてくれる花 ですよ」

なるほどね そんな考えも素敵だなぁ

「芍薬の花言葉 いっぱいあるんですけど
わたしが好きな芍薬の花言葉は
『必ず来る幸せ』っていうのが一番好きです」
「必ず来る……幸せ」

見えない未来に ただただ焦りと不安
まわりのみんなから 置いていかれる恐怖
得体の知れない大きなモヤモヤに
最近 ずっと包まれていた

「お花 いくつかいただけますか?」
「ありがとうございます ご自宅用に?」
「はい」
「じゃあ 良い香りのする 可愛い感じでね」

お姉さんは手際よく
数本のピンクと白の芍薬をメインに
可愛らしい花束を作ってくれた

「いろんな お花があるんですけど……」

お花を包みながらお姉さんが言う

「みんな好きな花は違うから
気に入るのも人それぞれじゃないですか
色も香りも好みがあるから 」
「そうですね」
「でも やっぱり その人が笑顔になるお花が
一番合ってるっていうか
欲しているお花なんじゃないかなぁって思って」
「あぁ 花束貰うときって 嬉しいから
笑顔になっちゃいますよね」
「必要な人の元に届くんですよ」

そんな会話をしながら花を包んでくれた

「お近くなんですか?」
「あ 会社が近いんです」
「そうなんですね 是非またどうぞ」
「癒されに来ますね」

帰りに もう一度 お店の中を見回した
ディスプレイされている花たちが
『またおいで』と言っているみたいだ

扉を開けて外に出ると
まだかろうじて空に夕焼け色が見えた

「ありがとうございました」

お姉さんの声に背中を押される
振り返りペコリと頭をさげた

私は花束を胸に抱えた
一歩 前に進む
ちょっとだけ背筋が伸びる

自分のために花を買うなんて
ちょっと大人……

とりあえず このまま歩いてみようか
先の事なんか知ってもしょうがない
自分を信じなくてどうすんだよ
未来に向かって
歩いてみようじゃない

私もいつか 誰かを笑顔に出来ること
何かしてみたいなぁ
花を咲かせる flowersか……

……ガラにもないことを思って
「フフフ」と声に出して笑う

通りすぎた人が 一瞬こちらを振り向く

あぁ あなたも芍薬の香りに
振り向いたのですね……

私は そう思うことにして
太陽が今にも沈みそうな
夕暮れの道を 歩いて帰ることにした

8/6/2022, 3:25:19 PM