ゆかぽんたす

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ピアノの演奏が、今日も始まった。
いつも決まった時間に音楽室から聞こえてくる。きっと有名な曲なんだと思う。素人の俺でさえどっかで聞いたことある感じの音楽だったから。でもこれが何ていう曲なのかなんてどうでも良かった。そんなことより、“誰が”弾いてるんだろう。そっちのほうが気になって仕方ない。毎日夕方6時くらいに始まるこの演奏会。下校時間です、と放送が入った後なので、周りには誰も居ない。俺以外は。
きっと清楚で髪の長い女子なんだろう。頭の中で勝手にそんなイメージを創り出していた。音楽の知識がゼロだけど、そんな俺でもなんとなく分かる。こんなふうに優しく弾くのだから、間違いなく儚い感じの女子だ。きっと人目をしのんでピアノの練習をしているんだ。もう、弾いてる音楽のことよりその子のことで頭がいっぱいになっていた。

だから今日、意を決して俺は音楽室の中に飛び込む。

時刻は夕方6時5分。いつものように演奏が始まった。俺はあらかじめ音楽準備室のほうに隠れて息を潜めていた。今日のピアノが奏でる音楽はわりとゆったりめの曲だった。数分間じっと聞いてれば眠ってしまいそうなほど。でもそんなオチにさせてたまるか。演奏開始僅か1分ほどで俺はドアを開け放った。
「うおっ」
聞こえた声はキャーみたいな可愛いもんじゃなかった。ドスのきいた野太い声。ピアノの前に座っていたのは女ではなかった。そして、その人物を俺は知っていた。
「お前……なんでここに」
「それは俺のセリフだっつうの!なんでここにいるんだよ」
同じクラスの男子生徒だった。ソイツはみんなから“ハカセ”と呼ばれている。名前が“ヒロシ”で、漢字が“博士”だからだ。ハカセとあうあだ名のくせにソイツはインテリ系というわけではなく、丸坊主のラグビー部の主将を担っていた。
そんな男がまさか。こんなヤツが。あんな繊細な演奏をしていたというのか。嘘だと思いたい。俺の頭の中の清楚系女子はがらがらと崩れ落ちてゆく。
「……聞くけどよ」
絞り出すように声を出した。ハカセは額に汗をかきながら俺を凝視していた。
「今までずっと、6時過ぎに聞こえてたピアノの音ってお前なのか?」
「そうだけど……つうか、なんで知ってんだよ」
「嘘だろおい……」
思わずその場に座り込んでしまった。あの演奏が、お前?ともう一度口に出してしまったほど俺は狼狽えていた。あんなに綺麗でか弱そうな音色が、このいかついマッチョ野郎だったなんて。項垂れ具合が半端ない。嘆く俺にハカセはどうしたんだよ、と近寄ってきた。だからその肉厚な手を思い切り握った。
「うお?!なんだよ」
「マジでショックだったわ」
「はあ?」
「けど、マジで毎日感動してたわ」
サンキュ、と言って無理矢理固い握手を交わした。どんなヤツが弾いてようが、俺は間違いなく感動したんだ。それだけは言える。まぁでも正直、可愛い女の子じゃなかったのはショックだったけど。でもコイツの演奏は半端なかった。魂震えた。だから礼を言うのは当然だと思う。
「……なんかよく分かんねぇけどよ。も少し聞いてくか?」
ハカセは目線を向こうにやりながらボソッと呟いた。俺は近くのパイプ椅子を引っ張ってきて真正面に座る。頼むわ、と一言言って、1番の特等席で、イカつい男の演奏会に聞き入った。




8/12/2023, 1:32:30 PM