湯船遊作

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もう一つの物語

弁当を作って、朝食を作って、皿洗いをして……
結婚生活3年目の日常である。
丹原 美咲(たんばら みさき)は結婚して3年の主婦である。子供はいない。まだしばらく予定もない。
元々は雇われのライターだったものの、夫の強い要望によりやむ無く主婦になった。
「貴女を外に出したくない!」
婚前、彼はそんなことを言った。
「どういう意味よ」
「家にいてくれ!」
「仕事があるし無理よ。明日も打合せがあるの」
「なおさら家にいてくれ!」
駄々をこねる彼の言い分にイマイチ要点を得ない。
「どうしてよ!」
「何だっていいだろ!」
「なんだってじゃ嫌よ! 私、仕事好きなの。沢山の人に話を聞いて、沢山の出会いを記事にしてるのよ。楽しいわ。楽しいだけじゃない。誇りだってある!
貴方だって、『素敵な仕事だね』って言ってくれてたじゃない!!」
「それは今もそうだけど……!」
「じゃあ何が問題なの!」
いま思えば私は馬鹿だった。
結婚を前にした彼の不安を全くわかっていなかったのだから。
そんな馬鹿な私に、
「綺麗だから!!!」
彼は馬鹿正直に言った。
フフフ――
お茶を啜りながら、昨夜に届いていたメールを見る。
ライター時代の後輩からだった。
彼女は私の寿退社を誰よりも懸命に止めようとしてくれた人だ。
「仕事続けましょうよ! 丹原さんならwebディレクターになって、プランナーになって、どんどん昇進できますから!」
って。
随分と会っていない。
こうして連絡を貰うのも、仕事を辞めてから初めてだった。
「あら、そうなの」
どうやらWebプランナーに昇進したらしい。
また、近いうちに独立するからぜひ力を貸して下さいとの事だった。
「……悪くないかもね」
彼女のことだから、きっとそれなりの席と開けた道を私に与えてくれるだろう。
沢山の人に囲まれて、誇り高き仕事をして、相応の報酬を貰う。
そんな未来も、悪くないかもしれない。
でもね、
「私、馬鹿なのよ」
底に残ったお茶をグイッと飲み干す。メールを閉じると、洗濯機のブザーがなった。

10/29/2023, 1:51:24 PM