「どこへ行こう」
東京から終点の新大阪までおよそ2時間。
この長いようで短い2時間を上手く使うのがエリートの腕の見せ所だ。これまで国内トップ層の学校に通ってきた僕にとっては朝飯前だ。大阪に着いたら顧客先のビルまではおよそ10分。すぐに商談を始められるようにプレゼンの用意は完璧にしておかなければならない。
たまに新幹線に乗っている間は休憩時間だとかいってYouTubeを見たりする同期もいるようだが、もってのほかだ。そんなんだからいつまでも仕事ができないのだ。時間を制するものは仕事も制する。
俺はすぐにノートパソコンを開いた。静かな車内でタイピングの音を響かせるのはかなり優越感を感じる。
今回のプレゼンは会社の命運を左右する…と思っている。新卒で入社してもうすぐ3年。商談を任せられたのはこれが初めてだ。会社も僕に期待しているのだ。
なんなら昨日は準備と緊張でほとんど眠れなかった。
上司からは「そんな気負わなくていいぞ。ただの顔合わせみたいなものだから」なんて言われたが、きっと僕の緊張をまぎらわすための方便だ。
ここで実力を見せつけて、同期に手も足も出ないほどの差をつけてやるんだ。
そしてこの仕事が終わったら有休を取って旅行にでも行こう。どこに行こうか。大阪より西に行ったことがないから神戸にでも行こうか。
カフェがたくさんあってなかなかオシャレな街だと聞く。カフェでコーヒーを飲みながら読書なんていかにもエリートっぽい。
仕事もプライベートも充実しているなんて僕はエリートの中のエリートだ。
ふと窓の外に目をやると中位の背丈のビルが見え始めた。車内もそわそわし始めている。
終点の大阪が近いのだろう。さあ、僕も降りる準備をしなければ。
ノートパソコンをしまって、ノイズキャンセリングのイヤホンをする。仕事ができる上司からお薦めしてもらった高級イヤホンだ。周囲の声は完全シャットアウトされる。
聞く曲はクラシックだ。これも仕事ができる先輩が大きな商談前にいつも聞いていると噂で聞いたのだ。クラシックなんてこれまで聞いたこともなかったし、正直何が良いのか分からないが、なんとなく上流階層の住民になった気がして気分がいい。
新幹線を降りるとなんとなく違和感を感じた。
やたらと人が少ないし、ホームが小さい。なんなら山が見える。
急いで右耳のイヤホンを外し周囲を確認し駅名板を見上げた。
「新神戸」
旅行で来るつもりが一足先に来てしまった。商談まで30分もない。
左耳から鼻から牛乳でお馴染みのバッハの「トッカータとフーガニ短調」が聞こえてきた。
4/24/2025, 9:29:15 AM