-ゆずぽんず-

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梅の花、桜の花が香り。土手や河川敷、道端を彩る草花に季節の移ろいを感じ春の訪れを知る。鳥の囀りも、虫の音も、子供や学生の靴の音が朝を鮮やかにして、今年も一年が動き出したのだと思いにふける。

この三月で、昨年の十月より赴任していた工事が無事故災害のもとに竣工出来たのは協力会社、そして職人さんたちの安全意識の高さあってのもの 。施工にあたり、困難に直面することも、どうしたものかと考えをめぐらせることもありましたが、監督と職人さんが一丸となることができたことで遅れもなく達成出来たのだと思います。
現場監督、施工管理の職に就いておりますと協力会社さんや職人さんとの折衝などで心が疲れることがあります。こちらとして無理なお願いをしなければならない時がどうしてもあるのですが、施工を担う職人さんからすれば込み上げてくるものがあるのです。私も職人上がりですからその点は理解しているのですが、頭を下げるしかなく申し訳のない気持ちになります。
本来、施工管理を行う現場監督は作業を行ってはいけないのですが、これは企業が大きければなおのこと厳しく指導をされます。万二一つ、怪我をした時に労働災害として処理が行われるのですが、この時に「なにをしていて被災したのか」が重要になるのです。ここで、監督の業務外である職人仕事などを行っていたとなれば問題なのです。ですから、まかり間違っても職人さんと並んで玉掛け作業 、加工、重機作業などの監督業務に該当しない作業 はしてはならないのです。

かくいう私はというと、もともと職人上がりで重機オペレーターもしておりましたから職人さんの作業状況を見て「 このペースだと工程から数日ずれ込むかな 」というのがよく分かるのです。そう思うや、いても立ってもいられず「工程通りに終われそうです?」と確認をしてしまうんですね。職長さんとしては「うちもよその現場が忙しくて人を入れられないから、厳しいかもしれないな」と答えるしかなく、私も一緒になって喫煙所で悩むことがよくあるのです。
「どうするかな」と会社に電話をかけるも「人は増やせない」 と返された職長さんが眉をしかめるのをみて、「僕にできることなら手伝うので、協力して頂けませんか」と提案するのが常である。こう切り出すと職長さんからは「何ができる? 枠は組める? 土間は抑えられる? 機械は操作できる?」と返ってくる。この問いかけに何度も繰り返してきた答えを私は口にする。私は機械作業もできるし土間も抑えることができるし、型枠も手伝い程度なら できるし、塗装もできるしコンクリート補修もできるしダンプにも乗れるし、舗装も少しはできる 。だから 、「機械も抑えもできるので、手伝いますよ」と笑えば職長も職人さんも笑顔になる。
しかし、一度でも手伝えば「 少しじゃない、めちゃくちゃ仕事できるじゃん。これからも大変な時だけでいいから手伝ってほしい」と声をかけられる。もちろん、私としても上司に相談し許可をいただいた上で、やりすぎない程度に手伝いをしているのですが職人上がりだから楽しくなってしまうのが悪いところだ。気がつけば職長さんたちの頭数に入れられている時がある。評価していただけること、褒めていただけることはとても嬉しい。けれど、監督としてはゼロ点なのだ。
工事の 終わりが見えてくる頃、あるいは協力会社さんの入場があと僅かという頃になると、いつも声をかけていただく。「うちに来ない?」、「いま年収 いくら貰っているの?」 、「最低でも今の年収は保証するから来て欲しい」とお誘いを受ける度にその言葉に 飛び込みたい気持ちが押し寄せてくる。けれど、それはできないのは自分が一番よく分かっている。
私は年に一度、少しばかし恵まれた額の昇給があり基本的には頭打ちはなく、さらに資格を取れば基本給が上がる仕組みなので、年収は少しずつ増えていくし、資格取得で 大きく変動する。だから、お誘いに答えて協力会社さんでお世話になるとそこがネックになる。何よりも、今の年収を最低限保証するというのも、かなりの負担になる。職長や職人さんたちと仲良くなっているからこそ、また仕事が したいと思える。しかし、これは私が監督という立場の上で共にした時間だからこそ感じるものなのかもしれない。何よりも、せっかくここまで作ってきた土台を無駄にするのも忍びない。

先日、三月までの現場でお世話になった舗装屋さんの専務と電話をした際に「何かあったらうちにおいで」と声を かけて頂いた。けれど、私はなんとも答えられなかった。というのも、今の私はつかいものにならなんだ。原因不明の脚の脱力や痙攣、疼痛によって日常生活にさえ難儀をしている。仕事などできるはずもなく休みをいただいて治療に専念しているのだけれど、どんな検査をしても原因が分からないもので何をどうしていいのかも未知なのだ。
神経の損傷が考えられるという 。 三年前にも同様の症状によって半年間も歩行困難になり伏せっていた。それ以降も、それ以前も予兆の様な違和感には気がついていた。歩いていると疼くような電気が走るような形容しがたい感覚が脚を襲えば、膝から崩れてしまう。しゃがんでいる時にそうなれば立てなくなる。胡蝶などなく、人の補助がなければ立てないのだ。
いま、こんな状況 にあって心底惨めだ。会社は待ってくれるという、もし退職したとしても戻ってきたくなれば今の待遇で迎えてくれるという。私は恵まれている。けれど、いまは何よりもこの足が憎いのだ。

春の暖かさも、鳥や虫の音も、サンサンと照らす陽の光も地面を打つ 雨の雫にも、 今の私はひとつとして心動かない。さらに、事情というのか不運というのか 、あることから今年の検定を受けることが出来なくなってしまった。残念で仕方がないが、逆に来年まで勉強ができると思えば良かったと言えるだろうか。


さあ、ここまでつらつらと 話をした 結論ですが、結局のところ何を言いたかったのか。それは、いつ、どんな時に、どんな状況で、どうなるのかなんてのは誰にも分からない。健康に気をつかっていても、私のようにワークアウトが大好きで 、愛していて、筋肉のためにお金も時間も捧げていても、よく分からない病気や怪我というのはついてまわる 。


だから、あなたも気をつけられよ。健康が一番なんだけれども、その健康を維持するには些細な変化に気がついてやれること、不安や不穏因子というのは常に排除しなければ ならない 。私は、いつも感じていた違和感を無視していた。故の結果であり、ざまあみろの典型だ。


美味しいものつくって、たべて、遊んで、楽しんで。喜んで、悲しんで、よく眠って。

心と体は直結しているもので、まずは何よりも身体を大切に 。身体を悪くすると心も引っ張られる。心を悪くすると身体が引っ張られる。


毎日に感謝して、今日を楽しみましょう。

4/10/2025, 10:55:37 PM