薄墨

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空が、音を立てて、崩れ始めていました。
青空が、入道雲が、ぼろぼろ、ぱりぱりと剥がれ落ちたその先に、玉蟲色の、虹が空間いっぱいに顔を覗かせていました。

構造色と光の加減で、玉蟲色の、バカでかい虹は、つやつやと鮮やかに、輝いていました。
それはまるでオーロラか、雨上がりの虹のように美しく、そして、それらの儚さとは相反するように、くっきりと、壮大に、確実な物質を持って、空間に堂々とそれはいました。

それは、世界の終わりでした。
ぎゃらぎゃらと輝く虹は、その下を這う人間など、米粒か虫ケラほどの価値しかないのだ、というように、こちらをじっ、と、見下ろしていました。

それは、息を呑むほど美しい、世界の終わりでした。

人類文明の平和の象徴であった青空は、みるみるうちに砕け、剥がれ、崩壊し、あの空の先に鎮座する虹の全貌のベールを、無慈悲にも、徐々に徐々に、引き剥がして見せているのでした。

私には分かっていました。
もうじき、あの虹は、子供のような純真さ、無邪気さで、眼下を這う虫ケラを、思いつきと気まぐれのままに、乱暴に、潰し、殺し、遊び、飼い始めるのだ、と。
私には分かっていました。
これが世界の終わりであることが。

だから、私のやるべきことも決まっていました。
いち早く、私ができる限りのすべての術を使って、他の世界へ時空へ移動して、この虹の始まりを探して、摘み取るべきだということ。
決まっていたのです。
この結末が、この虹が、空を剥がし始めたということは。

私は禁忌に手を染めなくてはならないのです。
禁忌に、秩序を破って、この眼前に広がり始めた規格外の絶望的運命に立ち向かわなくてはならないのです。
この絶望的運命を、この宇宙を救うために、虹の始まりを探して、全てにケリをつけなければならないのです。

もはや誰のせいにもしません。
私に授けられた、師匠から脈々と預かり教わった、利己のためのこの冒涜的な技術を、利他のために費やさねばならないときが来たのです。
それが、私たちに課された運命であり、義務であったのです。

それがたまたま私の代であった、というだけのことなのです。

私はこれから長い旅に出ます。
虹の始まりを探して、長い長い旅路に行かねばなりません。
そして、その先に待ち受けるものは、私に対しては何も保証しないものかもしれません。

それでも私は、虹の始まりを探して、旅に出るのです。
それが、私の使命であり、義務であり、私たちに背負わされた責務なのですから。

ですから、私を憐れむ必要ないのです。
私がたまたま、偶然にも、このタイミングにかち合っただけなのですから。

だから、安心してお任せください。
必ずや虹の始まりを探して、探し出して、阻止してみせましょう。
それが、私たちがこの力を使って、長い間、希望のままに生を謳歌していた、その時空の報いなのですから。

さようなら。冒涜的なものに抗うものよ。
さようなら。世界を守ろうとするものよ。
さようなら。私の同胞たちよ。

さようなら。この世界よ。

         ある廃墟から見つかった手記より。
          この手記が見つかった当所、
          街中のただ一つの廃墟の上には、
          虹などひとすじもなく、
          ただ青い空と入道雲が、
          どこまでも悠々と広がっていた。

7/28/2025, 2:43:12 PM