10月30日 水曜日
No.4【懐かしく思うこと】
憂鬱な仕事場に向かう木曜日。
毎日の日々に変化はなくて、そろそろ飽きてきた。
聞き慣れたアラーム音が聞こえる。
重い瞼を開けて時計を確認する。
針はいつもの数字を指す。
鏡にうつるいつもの冴えない顔。
ふと思い出して、自分のカバンを漁る。
カバンの奥底から親友にもらった有名ブランドの新作リップを取り出した。
開けてみると、自分が思ったよりも真っ赤な色だった。
「アンタはさ、冒険をしないからいつまでもかわらないんだよ。新しいことにビビってないで少しはいつもと違うことをしてみた方がいいと思うよ。」
親友の言葉が思い出される。
わかってた。自分はビビリで臆病だから、難しいことや慣れないことから逃げて生きてきたことぐらい。
でも、これでいいんだ。
あの時、わたしはこのまま生きていこうと決めたから。
慣れないことはしない。
ため息をついてリップの蓋を閉める。
少し乱暴にカバンの中に投げ入れた。
なんの変化もない日々の中で過ぎていく時間。
わたしはこの先も毎日変わらない日々を過ごして年老いていくのだろうか。
毎日さらにわたしの気分を下げるのが、
人でいっぱいの駅、満員電車
すれ違う人を見る。
酔っ払いのおじさん。
派手な化粧に笑顔で会社に向かう若者。
わたしのようにいかにも憂鬱そうな人々もいる。
あとは……
「え?先輩、?」
すれ違った男の人を見て、思わず声が出た。
男の人は立ち止まり、振り返る。
「あれ?君、もしかして…」
驚いた。
目の前にいるのはわたしの”初恋の人”。
高校の時、仲良くしてくれた先輩。
「久しぶりだね。」
そう笑顔でいう先輩は、わたしと違って何も変わっていなかった。
心臓の鼓動がはやくなる。
わたしの気持ちはあの時と変わらないみたい。
先輩とは少し会話を交わして別れた。
ずっと忘れられなかった大好きな人。
先輩の卒業が間近だったある日、わたしは先輩と言い合いになってしまい、卒業おめでとうございますと伝えることはできなかった。
卒業式の日、ちゃんと謝って自分の想いを伝えようとしたが、臆病なわたしは何もできなかった。
あの時気づいたのだ。
ここで何もできないわたしは、このまま生きていくしかないのだと。
懐かしく思うこと。
毎日がワクワクしたあの青春の日々。
もう戻ってこない。
––––いや、戻すこともできるのかもしれない。
「今日から職場が変わってこの近くに住むことになったんだ。」
そう先輩は言っていた。
その言葉がなんの変化のない日々に一筋の光を刺したように私は感じた。
これはチャンスかもしれない。
心のどこかで変えたいと思っていたわたしの人生を変えるための。
「ちょっと頑張ってみようかな、」
いつか今も変わらず大好きな人と一緒にあの青春を懐かしむ日が来ることをわたしは願う。
もしそれが叶わなかったとしても、その苦い思い出すらも懐かしめるように頑張って生きればいい。
カバンから真っ赤なリップを取り出す。
スマホの内カメラで確認しながら丁寧に唇に色付けた。
「よし。」
いつも憂鬱な木曜日。
でも今日はいつもとは違う木曜日。
忘れかけてた懐かしい輝きが一日を変えてくれた。
真っ赤に色づいた唇を引き上げて笑顔を作る。
こころが晴れやかになった気がした。
わたしはキリッと背筋を伸ばし、
人でいっぱいの電車に足を踏み入れた。
10/30/2024, 5:49:15 PM