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 「とわちゃん」
 幼馴染の男の子がわたしをよぶ声を、今もはっきりと思い出せる。小さい子ども特有の舌ったらずな喋り方。ひらがなの"た"行の発音が得意じゃなくて、さしすせその"そ"になってしまっていた。
 三つになる前から遊んでいたし、幼稚園に入った頃にはすでに仲良し。お互いにその先もずうっと一緒にいると疑いなく信じていた。虫取りだってかけっこだってあなたがいなくちゃ始まらない。
「……はよ」
 お家が二軒隣というのは、けっこう大きな間だ。わかりやすくお隣だったら毎朝会っただろうし、何だかんだで登校も一緒にしてただろう。
 ブレザーのジャケットを羽織りながら、歩いてきた男の子を見上げる。背も随分高くなって、住宅街じゃなくて背景に空が見えるぐらい。憎らしいほどいい天気だから、今日はいけるはず。大丈夫と深呼吸をする。
「……おはよ」
 蚊の鳴くような声が出た。辛うじて聞こえたらしい。軽く手を上げ、彼が軽やかに歩いていく。広がっていく距離に、気持ちが勝手に焦り自分の手をぎゅうと握りしめた。
 彼とわたしの関係。今は仲良し、とはちょっと遠い。よくありがちなもので、成長と共に気恥ずかしさやら照れが出てきてしまって、こうして偶然会ったら挨拶を交わす程度。本当はもっと楽しく話しかけて喋って、前みたいに遊びたいのに。ままならなさに泣きたい気分だ。
(とわちゃんあしはやいねぇ)
 刹那。舌ったらずな声が甦った。かけっこに関しては負け知らずだったわたしに、いつもニコニコしながら褒めてくれた、彼の。
 思い出したのだ。彼と仲良くなったきっかけを。ご近所さんでママ達が集まっていたとき、お母さんの陰に隠れて様子を窺っていた彼にわたしが話しかけた。それだけの事だった。
「……よし」
  ローファーのつま先をギュッと入れ直す。唇をぐっと結んで、軽く髪を整える。まだまだ自慢の脚で追いついて、大きな声で話しかけよう。
「おはよう!」
 それだけで、きっといいのだ。

4/28/2023, 12:01:51 PM