愛を注いで
いつしか、私は愛を注いで等と誰にも思わなくなった。
そもそも愛など存在しないからである。
確かに、優しい言葉をかけてくれる人や、心配してくれる人、手を貸してくれる人はいるだろう。
だがその相手は、優しくすることで快感を得てるだけなのだ。
自分は善人だと思い込み、自分という存在を価値のあるものにしたいが為の言動なのだ。
結局は自己愛をうまく利用して生きているだけ。
それをあたかも綺麗な行いかのように、見せているだけなのだ。
ボランティア、果たして自分に余裕がなくなった時にできるだろうか?
Instagramというアプリが、人間、というものを表している。
誰が頼んだわけでも無いのに、綺麗な写真を並べたて、私は美しいのだと主張している。
そうでもしないと、本当の汚い心を見透かされてしまいそうで不安だからなのだろう。
大丈夫、全ての人間に完璧で美しい人など存在しないのだから。
自己愛、それはこの否定ばかりの世界を自殺せずに生きる上で必要なものであるが、それが強く蔓延る限り、本当の愛は見つけられないだろう。
12/13/2022, 10:53:49 AM