「おまえ追放な」
有無を言わさぬ冷たい一言。
黒い羊は、突然仲間から告げられた言葉に
ただ項垂れる他なかった。
ここは穏やかな田舎の牧場。緑なす草原が
どこまでも続き、白い柵が境界を取り囲む。
陽だまりの中で、羊たちが小さな群れを作っている。親子で寄り添うもの、友だち同士で戯れるもの。
みな思い思いに草を食み、時折顔を上げては
空を仰ぎ、長閑なひとときを過ごした。
その中に一匹だけ、異質な存在がいた。
黒い羊。黒い毛に覆われた体は、
白い仲間たちの中でもひときわ目を引く。
遠くからでも一目でわかる姿は、羊たちの天敵であるオオカミの目に留まりやすい。
その上、牧場主にとっても染色できない
黒い毛は商品として価値がない。
黒い羊はみんなから疎まれていた。
「あいつ、いつもひとりで食ってやがる」
群れから少し離れた場所で、
ひとり静かに草を食んでいる黒い羊のもとへ、
心ない声が風に乗ってやってきた。
嘲笑を含んだ響き。
やがて一匹の羊が近づいてきた。群れの中でも
特に体格の良い、力自慢で好戦的な雄羊。
その目には、明らかな敵意が宿っていた。
「おまえみたいな奴がいると、
みんなが迷惑するんだよ」
挑発の言葉と共に、激しい頭突きが繰り出される。
だが黒い羊も、決して弱い存在ではない。
孤独の中で鍛えられた肉体は、むしろ仲間たちよりもたくましく育っていた。
反撃は素早く、そして的確だった。
争いに引き寄せられた羊たちが、二匹の周りを
取り囲み見物している。そこへ羊たちを管理する
ボーダーコリーが何事かと駆けつけてきて、
両者はようやく戦いを止めた。
地面に倒れ伏していたのは、
先に喧嘩を仕掛けてきた雄羊の方だった。
しかし、その後に起きたことは、黒い羊に
とってあまりにも理不尽なものだった。
「あいつが突然襲いかかってきたんだ」
「何の理由もなく、いきなり暴力を振るったんです」
負けた雄羊とその取り巻きたちは、
事実をねじ曲げて仲間へ報告したのだ。
だが群れの羊たちは、彼らの話を疑うことなく
信じた。いや、信じたがったのかもしれない。
厄介者を排除する、格好の口実として。
黒い羊は何も弁明しなかった。
言葉を尽くしたところで、
誰も聞く耳を持たないことを知っていたから。
「おまえ追放な」
こうして下された追放命令。
黒い羊は出口へ足を進め、
一度だけ振り返って仲間たちを見つめた。
そこに宿るは憎しみではなく、深い悲しみ。
家畜小屋から出て、白い柵を軽やかに飛び越えると、黒い羊は森の奥へと歩いていった。
森は、牧場とはまったく違う世界だ。
木々の間から射し込む木漏れ日。風は葉を震わせ、
清らかな小川が岩の間を流れる。
水は牧場の水桶とは比べものにならないほど
冷たく、甘い。
黒い羊は初めて、本当の自由を味わった。
誰からも白い目を向けられることなく、
思うままに草を食み、思うままに休息する。
ある夜、大木の根元にできた穴で休んでいると、
遠くから低いうなり声が聞こえてきた。
本能が告げる、オオカミの群れだ。
気配が段々と近付いてくる。そして、黒い羊の
姿を視認すると、彼らは一斉に駆け出した。
必死の逃走劇が繰り広げられる。
黒い羊は持てる力のすべてを振り絞って走った。
だが多勢に無勢、徐々に距離は狭まっていく。
気がつくと、断崖絶壁の縁に立っていた。
後ろには迫りくるオオカミたち。
前には深い谷底。もはや逃げ場はない。
黒い羊は空を見上げた。
満天の星が、やさしく瞬いている。
そして一歩、足を踏み出した。
――
黒い羊の体は地面に強く叩きつけられ、絶命した。
やがて、黒い羊の亡骸のもとに
森の住人たちが集まってきた。
カラスたちが舞い降り、小さな虫たちが這い寄る。
みんなで、黒い羊が持っていた命を
ありがたく分け合った。
黒い毛は土に還り、
血肉は森の生き物たちを養う。
黒い羊はようやく、輪の中に迎え入れられた。
分け隔てなく、すべてを受け入れる
大いなる自然の懐に抱かれて。
生前果たせなかった願い──仲間になること──が、ついに叶えられた瞬間だった。
お題「仲間になれなくて」
9/9/2025, 3:45:07 AM