『秘密の手紙』
雑なクセに、彼女はよくメモを残した。
今思えば、彼女なりのすれ違い防止策だったのかもしれない。
同棲を始めたばかりのときは、そのいじらしい行動は特に顕著だった。
差し入れの栄養ドリンクを文鎮にして、小さなメモ用紙に几帳面で丁寧な筆跡で俺を気遣う。
『お疲れさまです。作業が終わったらきちんと寝てください。』
文面にいつもの気軽さはなかった。
整えられた書体もあり、少しよそよそしい印象を受ける。
普段はそのメモを回収してコレクションするのだが、たまたまペンを握っていたという状況も手伝った。
『差し入れありがとう。いつも待たせてばかりでごめん。』
彼女のメモ用紙の余白にそう記して、カラになった栄養ドリンクの瓶を文鎮にした。
次の日、ぷりぷりになった彼女から「ゴミはちゃんと捨ててっ」とお叱りを受ける。
暗に文鎮にした空き瓶のことを言われて、俺は平謝りすのだった。
*
新しい本を買い足すために、彼女の小さな本棚を整理していたときだ。
はらり。
何冊かまとめて本を棚から抜き取ったときに、小さな紙切れが頼りなく足元に落ちる。
ん?
なんだ?
「……メモ?」
彼女からの「お疲れさま」に対して、俺が「ありがとう」と余白に書き足しただけのやりとりだ。
互いを気遣っただけの、筆談にすらなっていないメモ用紙を見つめる。
なんでこんなところに?
ブックマーカーにでもしていたのだろうか。
「お待たせ。ごめんね? 本の整理、まかせちゃって」
捨ててもいいものか決めかねていると、ちょうどメイクを終えた彼女がリビングに戻ってきた。
「かまいませんよ。それに、ちょうどよかったです」
「ん?」
ちょいちょいと手招きすると、彼女は素直に俺との距離を詰めた。
少しずつ俺との距離に慣れてきた彼女の目の前で、メモ用紙を差し出す。
「これ、本棚から出てきたんですけど捨てますよ?」
「あっ!?」
ヒラヒラと指で挟んだメモ用紙を、彼女は慌てた様子で奪い取った。
「ダ、ダメッ!」
「え!?」
ダメっ!?
なんで!?
たかが紙切れ1枚にどんな思い入れがあるというのか。
「……お、俺のラブレターはすぐにシュレッダーにかけるクセに」
頻繁に彼女が手紙を残すから、俺も負けじとラブレターを書いていた時期があった。
目を通すや否や、彼女は速攻で処分する。
彼氏であるはずなのに好意を受け取ってもらえなかった現実に、何度涙したか。
「ラブ……? いや、犯行予告の間違いだろ」
「さすがに失礼ですね?」
「事実じゃん」
確かにその手紙には「犯す」、「抱き潰す」、「泣いてもやめない」とか書いた気がするけども。
鼻を鳴らしたあと軽蔑に染まった眼差しで、ためらいもなくシュレッダーにかける彼女の顔が最高に美しいからしばらく俺のマイブームになっていた。
「でも、なんだかんだ言いながら、俺の要求にはつき合ってくれるじゃないですか」
「そっ、いっ、今は関係ないっ!」
ボンッと瞬間湯沸かし器にも負けない速度で彼女の顔が赤くなった。
「とにかく、これは捨てないでっ」
乱雑に俺の手からメモ用紙を奪い取り、先ほどの本に挟む。
大切そうにその本ごと抱え込んだ彼女は、真っ赤に染まった顔で俺を見上げた。
「返信してくれるなんて思ってなかったから、うれしかったの」
羞恥に潤んだ瑠璃色の瞳には熱が孕み、リップで艶を帯びた唇は悩まし気に震える。
これから出かけようとしている人の顔にしては色が乗りすぎていて、つい生唾を飲んだ。
「だから、もう少しだけ大切にさせてほしい」
彼女が俯いたせいで、流していた横髪が静かに落ちる。
耳にかけ直してあげれば、薄い皮膚に触れてしまったのか、彼女の肩が小さく跳ねた。
「かわいいですね?」
細い顎を掬い、強引に視線を絡ませる。
恍惚に揺蕩っていた瞳は我にかえったように光を宿し、トン、と本で俺の胸を押し返した。
「そ、そういうの、本当にいいから……」
「そんなに俺の字が好きなら、交換日記でもしたためますか?」
押し当てられた本を受け取って伝えると、彼女は不信感いっぱいに眉を寄せる。
「え。ヤダ。面倒くさい」
「ふはっ」
予想通りの返答に、つい声を出して笑ってしまった。
「ズボラで悪かったな?」
「いえいえ、まさか。解釈通りで安心したくらいです」
彼女の隠した小さな手紙が挟まった本を棚に戻す。
余白の空いたスペースを埋めるために、俺は彼女を促した。
今日の彼女はどんな本を手にするのか。
密かに心躍らせながら、彼女とともに家を出た。
12/5/2025, 6:57:46 AM