のねむ

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友だちの思い出は、沢山ある。
今はもう、友だちの思い出の「思い出」部分だけしか残ってはいないが。

私が、友だちから無視をされても何も思わなくなったのは何時からだろう。絶妙に保たれてたバランスがゆっくりと傾いて行くように、はたまた、砂時計が気付かぬ間に全て落ちきってた時のように、ゆっくりと、しかし瞬く間に私は人としての感情を失っていた。

いや、失っていた、と言うとちょっと違うのかもしれない。ただ見栄を張りたくてそう言った可能性もあると、私は心のどこかで思っている。
自分の感情に鈍感でいた方が楽だと、自分自身を洗脳し始めた時から、本心がどこにあるのかが分からなくなった。
それに対しても、特に危機感や焦りなどはない。どうせ、長生きする気はないのだから、と死という逃げ道が常に目の前に佇んでいるせいで、何もする気が起きないのだ。


死は救済だ。それは、私にとってだけで多くの人にとっては、違うのだと思う。
死は、人の数だけ存在する。天使か悪魔か、大人か子供か、見る人によって姿を変える其れは、私から見ればもう一人の私だった。
死によって、私は完成するのだ、と厨二病も大絶賛のこの言葉を平気で吐けるほどに、心の底からそう思っている。


ああ、話が逸れてしまった。
私は大変仲の良かった(そう思っていたのは私だけかもしれないけれど)友だちに、無視をされた。
二人で遊びに行き、お揃いのものを買って、笑いあっていたのに。
話しかけた言葉に帰ってくる音は無く。それを何度か続けた後に、「嗚呼。やっぱり」と確信したのだ。
最初は、悲しかったのだと思う。けれど時間が経つにつれてどうでも良くなった。
私が何かしたのなら、謝りたいと思う。しかし、それすらも教えて貰えず、謝罪を受け取り許したくもないのなら、関わらなくて良いのだろう、と自己完結したのだ。

私と彼女の物語は、そこで完結した。
ならばもう、何かを考えることも感じることも必要ないだろう。
私は、友だちの思い出だけを手に取ることで、それで充分に満たされている。
それだけなのだ。それだけで、私は彼女に対して興味も感情も失った。その事実がとても悲しい。

友だちとして、とても好きだったし愛おしかった。
なのに、人間として信用も信頼もしてなかった。


これは別に、後悔でも懺悔でもなんでもないけれど、自分が自分じゃなければもっと上手く生きれていたのだと思う。
ごめんなさい。マトモに生まれていれば、人間としての感情が、もっとあれば良かったのかもね。
それでもまあ、仕方ないか。生まれてしまったんだから。私が私として。


じゃあ、またさようなら。
貴方が長生きすることを祈ってます。





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これは、誰にも分からない呪いの言葉。
けれど、貴女からしたら祝福の言葉。



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私は本を通して他人の人生を経験する人なんですが(多くはそうかも、)本の中に入って自分が全てを受けたように感じる、傷も胸も酷く痛む、のに、でもやっぱりそれはまがい物、授けられた物で、結局は返さなきゃ行けない。
男になったり女になったり、賢くなったり馬鹿になったり、犯罪者になったり。そうしても結局、現実の自分は何も無いただの人間。ちょっと悔しい。


今日は、「少女葬」と「贖罪」を読みました。
どちらを読み終えても、苦しくて胸のモヤモヤは決して取れず、数日は思い出してしまうだろうなと思いました。
昨日は、「滅びの前のシャングリラ」を。

何を読んでも、やはり死は救済としか映らない。
生きたまま何もかもを背負って生きる方が、死ぬよりも何十倍も難しい。

7/6/2024, 12:21:16 PM