おばあさまは今年で幾つになりますの?
電話越しに聞かれる。
祖母は現在93歳、9月が来れば94歳になる。
まだ生きていたら、という仄暗い前置きを胸に仕舞う。
電話主は祖母と古い付き合いらしい。顔も年齢も分からないが、親しみを感じる声だった。
祖母は今グループホームに入居しており、もう半年会いに行っていない。
母の話によると、眠っている時間が日に日に増え、歩くこともままならなくなってきているらしい。
母から聞いた現状を、少し柔らかくして相手に伝える。
電話を切ったあと、急に罪悪感が込み上げてきた。
祖母は人生の最期が近いことをどう感じているのだろうか。
幸せな人生だった。祖母はよく自分に言い聞かせていた。
それも10年近く前の話。
聡明だった祖母だが、ホームの入居前は理性のタガが外れて感情を抑えるのが難しくなっていた。
義理の母を自宅で看取るまで世話し続けた祖母にとって、理不尽に感じているのかもしれない。
幸せな人生だったと今も思えているだろうか。
記憶が1つずつ抜け落ちて、それでも人は幸福でいられるのだろうか。
夜更かしが続いている。
深夜は生活の影に隠れていた不安や疑問が這い出してくる。
生きること、死ぬこと、やるべきこと、その他諸々。
眠りにつく前に祖母のことを思い返す。
考えてみれば眠るということは日々死んでいるということか。
僕も祖母も30数年で随分と変わった。世界にとっては些細なことだが、僕らにとっては大きな物語だ。
せめて、覚えていられる人が時々思い出してやらないと。
いつか人生は終わる。でも、多分明日はやってくる。多分の積み重ねの先に終わりがある。思考に疲れ果て目を閉じる。多分来る明日を夢みて。
5/31/2025, 7:20:02 AM