家に逆らうものには罰を。
裏切りにはその者の血を。
最悪心を壊してしまいなさい。
酷く冷えた手のひらを頬に添えて、僕の瞳をじっと見つめる父は綺麗に微笑んでいた。その綺麗な笑みに魅入られたように僕は無意識に口を開く。
「はい。父上。」
その笑みの裏にある瞳に、僕なんて写っていないんだろうなと知りながら。僕はその答えしか持ち合わせてはいなかった。父上の言ったことはいつも正しいから。父が間違ったことを言うことなんてないんだ。自分に毎日言い聞かせて、周りの声に聞こえないふりをした。
「兄様。人の心は繊細なんですよ。
花と同じくらい丁寧に扱わなければ、直ぐに壊れてしまうのです。だから、無闇に人を傷付けてはいけません。兄様は優しいから、相手と同じくらい傷ついてしまうでしょう?」
周りの声に耳を塞いでも、唯一塞ぎきれない声があった。それは小さな妹の声で、まだ両手の指で数えられる程しか生きていないというのに。僕よりも一歩進んだ考えをするような。誰よりも純粋で身体の弱い妹だった。
暖かい手のひらで僕の両頬を包み込み、ニコリと心からの笑みを零す小さな妹。まだ成長段階の彼女の手のひらは肉付きがよく、モチモチで触り心地がいい。
腕から伸びる一本の管さえなければ、普通の健康な女の子だ。
「兄様、今日はメイドに頼んで少しだけ散歩させてもらいました。今日は5分間も歩けたんですよ!」
僕の血に染っていた掌を躊躇いなく掴み、そうだ!と語りかけてくる妹に、情けないけれどものすごく泣きたくなった。暖かい。とても暖かいんだ。
病人だからと離れに連れてこられたというのに、父と母は元気ですか。なんて心配してくる健気な妹が。僕には眩しすぎて辛くなる。もちもちした柔らかい手のひらは僕の冷えた身体に熱を取り戻してくれる。キラキラと輝く青い瞳は空のようで、僕に元気を与えてくれた。
「…そうか。すごいな。」
もっと気の利いた事を言える性格なら良かった。もっとこの子にとって良い兄でいられたら良かった。ぐるぐると巡る思考を取り払うように、僕はその場から立ち上がる。もう行くのですか?と少し残念そうな妹の丸い頭を撫でてから、また来るからなと微笑んだ。
「兄様。私の言ったことを忘れないでくださいね。
兄様の心を、壊さないでくださいね。」
いつもなら待ってます。と笑いかけてくる妹が、今日は複雑な表情で小さく呟く。花のように丁寧に扱う。先程の彼女の言葉を反芻して、わかったと頷いた。
「僕はお前さえいれば心を壊すことは無いよ。」
じゃあ大人しく待ってるんだぞ。妹に背を向け、病室の扉を後ろ手に閉めた。帰り際の妹の顔はどうも苦手で、いつも見ることない。けれど何故か今日は無性に見た方が良かったかもしれないという考えがあった。
「いや、行こう。」
後ろ髪を引かれる思いで僕は再び歩き出す。離れから出て、本館へと続く長い道を歩いている途中、白い小さな花が目に入った。なんとなく手を伸ばし、根元から折って手に取ってみる。綺麗な花だな。と考えながら本館まで辿り着くと、僕はその繊細な花を握りつぶした。
嗚呼、妹よ。気を悪くしないで欲しい。僕は確かにお前にわかったと伝えた。それはお前の目に見える範囲内だということは僕しか知らないだろうが、これでも妥協した方なのだ。この家で生きるには、残酷でなくてはならない。
残酷なのは僕だけでいい。妹はあの綺麗な瞳のまま生きていればいい。何にも汚れていない手で、その暖かな体温で、笑っていればいいのだ。
お前だ。お前こそが僕にとっての繊細な花。
だから僕は、お前を何よりも丁寧に扱うと約束しよう。
【繊細な花】
6/25/2023, 2:34:05 PM