久しぶりに戻って来た故郷は、どこか冷ややかな空気に包まれているように感じた。
小さく溜息を吐く。何年も帰ってはいないのだから当然だとは思いながらも、寂れ排他的になった故郷には落胆に似た感情を抱いてしまう。
戻らなかった方が良かっただろうか。それとも足繁く帰ってきていたのならば、こうして居心地の悪さを感じることもなかったのか。
どちらにしても今更なことを考えながら、角を曲がった時だった。
「――あれ?」
一瞬だけ、見知った小さな影が見えた気がした。
視線を向ける。神社へと続く石段の上。最後の数段を上る少女の後ろ姿を見た。
思わず息を呑む。学生時代の、密かに好きだった同級生と瓜二つだった。
彼女だろうかと思い、だがすぐに違うと内心で否定する。
あれから何年も経っている。おそらくは、彼女も立派な大人へと成長していることだろう。
ならばあの子は彼女の子供だろうか。痛む胸に気づかない振りをして、その場を後にした。
家について一息ついてから、何気なくその話を母にした。
「あぁ、あれは違うわよ」
どことなく冷たさを感じる響きの声で母は答えた。不思議に思い母に視線を向けると彼女はどこか悲しげに、それでいて恐れているかのような目をして、自分が家を出た後の話をしてくれた。
自分が見たあの子は、どうやら同級生の子供ではなく彼女本人らしい。何故か彼女は学生時代の姿のまま成長が止まってしまったのだという。
原因は不明。最初は何かと不憫に思っていた周りも、何年も変わらない彼女を気味悪がり次第に距離を置き始めるようになり、ああして人気のない所で過ごしているようだ。
「そんなことがあったんだ」
茶菓子に手を伸ばしながら、小さく呟いた。
彼女のことを思い、自然と眉が寄る。教室でいつも誰かと楽しそうに話している姿が脳裏を過ぎて、彼女は寂しがりだったはずだと思い出した。
せんべいを齧りながら、彼女が好きだった甘いお菓子をいくつか取る。ポケットに入れて、立ち上がった。
「ちょっと出てくる」
「そう?夕飯までには戻ってきなさいね」
母の言葉に適当に答えを返し、家を出た。
神社の石段を駆け上がる。
息を切らせ最後の段を上がり、神社を見回した。
「いない……」
彼女の姿が見えないことに密かに焦りに似た気持ちを感じながら、神社の奥へと足を踏みいれた。
とても静かだ。虫の声すら聞こえない。そのせいか、心臓の音がやけに大きく聞こえる気がした。
境内を外れ、昔子供たちの遊び場だった秘密の場所へと向かっていく。生い茂る木々から伸びる枝葉を潜り、草を踏みしめるとがさりと音が立った。
「――誰?」
懐かしい声がした。
「久しぶり」
そっと声をかける。
振り返る彼女は記憶の中と全く同じ姿で、けれどあの頃とは違い怯えた目をしてこちらを見つめていた。
思わず立ち止まる。他者を拒絶する小さな姿に、強く手を握り締めた。
「大人は嘘ばかり吐く」
「え……?」
ぼそりと吐き捨てれば、彼女の大きな目が困惑を浮かべて瞬いた。
それに何でもないと首を振り、一歩距離を縮める。
途端に、彼女はびくりと体を震わせた。けれどそれ以上に拒絶の反応はなく、もう一歩距離を詰める。
少しずつ、彼女の反応を見ながら近づいていく。そして時間をかけて彼女の側まで近寄り、腰を下ろした。
「覚えてないだろうけどさ、一緒のクラスだった」
彼女の方を見ずに、そう呟く。視界の端で彼女が目を瞬き、ほんの少し笑みを浮かべたのが見えた。
「覚えてる……すっかり大人になっちゃってたから、すぐには分からなかったけれど」
「そっか」
彼女の方を見て笑った。けれどまだ目は合わせない。代わりにポケットに手を入れチョコレートを取り出すと、静かに彼女へと差し出した。
細い指が、ゆっくりとチョコレートを取る。かさ、と包装紙が音を立て、甘い匂いが鼻腔を擽った。
「――おいしい」
「よかった」
それ以上は何も言わなかった。彼女も何も言わず、静けさが辺りを包んでいく。
どれだけそうしていただろう。空の青に朱が混じり始めた時、彼女は微かに声を漏らした。
「帰りたくないな」
泣くのを耐えたような声音。
それだけで十分だった。
「俺と来るか?」
そう言って彼女と目を合わせた。その目にはもう、恐怖の感情は見えなかった。
「――いいの?」
戸惑う彼女に、いいよと返す。一呼吸おいて、でも、と付け足した。
「俺と来たら、子供のままではいられなくなる。大人になってしまえば、元には戻らない」
「うん。分かってる」
微笑みを浮かべ、彼女は頷いた。
「もう、ここにはいたくない。ここで大人になるのが、ずっと恐ろしかった。外でなら、ようやく私は大人になれる」
「――分かった」
彼女の頬を涙が伝う。その滴を拭い、彼女の目を見て告げる。
「必要なものだけ持って、ここにおいで」
「必要なものなんて何もない。全部捨ててしまいたい」
俯く彼女の悲しみの深さに歯噛みしながら、何も言わずに立ち上がった。
神社へと戻り、足早に家へと向かう。石段を駆け下りながら両親への説明を考え、必要ないかと笑う。
適当に仕事があるとでも言えばいい。自分はもう大人なのだから、正直に話す必要はどこにもないだろう。
考えるべきことは、彼女とのこれからだ。勢いで彼女を連れ出すことになってしまったが、ちゃんと言葉にしなければいけない。
一緒に来るかと言ったのは、子供のままでいる彼女にただ同情した訳ではないのだから。
20260512 『子供のままで』
5/13/2026, 6:16:35 PM