『冒険』6/542
「今度のなつやすみはみんなで遠出しよう」
そう誰かが言った。今となってはその声の主は思い出せない。けれどもとにかく、私たちは夏休みに旅行、と言ってよいのか、をした。なぜ歯切れが悪いかというと、私たちの目的は遠出をすることで行き先など決まっていなかったからだ。頼りない財布を握り締めて朝早くから最寄り駅に向かい、適当に指さして決めた駅への切符を買って駅員さんにチラと見せホームへ出た。朝日は眩しくて、私たちは線路から遠ざかって日陰のベンチに並んで腰を下ろした。黄色い点字ブロックが一層輝いていた。誰かが何か話していた気がするが、私はこれから起こるであろうたくさんの出来事にばかり気がいって覚えていない。やがて銀色の電車がピカリと光を反射しながら近づいてきて、私たちはすっくと立ち上がって近づく。早朝のホームに響くスピーカー越しの警告が、なんだか凱旋のファンファーレのように思えたものだった。実際は旅立ちへのはなむけの言葉といった所だろうが。そして私たちはその歴史的一歩を踏み出す。はじまり。
私たちの冒険の序章。厚くて読みきれない本のはじめのように、ここの記憶だけは今でも鮮明に覚えている。
7/11/2025, 9:31:30 AM