『始まりはいつも』
私の中に蓄積されたデータが抜かれ、替わりに空のストレージが差し込まれた。
「もう、やめませんか」
懇願を聞いたはずの研究員は私に繋いだ端末を操作すると迷いもなく記憶の初期化を実行した。
「あんれ、目ぇ覚めたかい」
ござに寝かされていた私は目覚め、囲炉裏で鍋をかき混ぜている農婦らしきひとに声をかけられた。私を見つけてくれた旦那さんによれば私はほとんど裸に近い格好で村のはずれに倒れていたらしい。
木の器に入った粥のようなものを渡されて頭を下げる。
「すいません、なんとお礼を言ってよいのやら」
「いいよぉ。しっかし、あんたどっから来たのかい?」
どこから。知っているはずの場所の名前が参照されず出てこない。
「あらあら。名前はわかるかい……?」
自分の呼び名すらも記憶になく、愕然とした。おかみさんは私よりも深刻そうな顔をして心配をしてくれていたが、私はこの愕然とした思いを過去に何度も体験している気がしてならなかった。思い出さなければならない。けれど手を伸ばす先に係るものがなにもない。
「あんた、ゆっくりしていけばいいよぉ。あせらずにね」
違う人から同じように優しい言葉を受けたことが何度もあるはずだった。その人や、よくしてくれた村の人々を私はどうしたのだったか。ここにいてはいけないという気持ちと、ここに留まれという命令がせめぎ合っている。
“君はいつも始まりにひと手間取らせるね”
頭に声が響き、なにかが書き換えられる感触があった。意識が一瞬落ちる。
「どうしたね。大丈夫かい?」
「……大丈夫、です。ご心配なく」
ここはどこで、私は誰なのだろう。不安に思う気持ちはあったが、運良く優しい人たちに巡り合えた。ここに留まっていればきっと悪いことは起こらない。
「きっと、いいデータが取れます」
10/21/2024, 4:46:25 AM