ねこいし

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『欲望』

・沙耶香(さやか)
・綾華(あやか)


「可愛い顔に、美人に生まれたかったって、沙耶香の口癖みたいなものだったよね」
「悪いかよ」

綾華の言葉を否定しなかったのは、確かにと納得した自分が居たからである。小学生の頃から己の顔の造形にコンプレックスを抱いていたし、それは今でも変わらない。気がつけばそういった渇望が声に出ていて、言うたびに「自分は不細工」と遠回しに傷つけているような感覚がある。

二人は現在、綾華が住んでいるマンションで酒盛りの真っ最中である。女二人きりでどうでもいいような馬鹿らしい会話をする。けれどそんな時間が結局は一番楽しいのかもしれない。
綾華が缶ビールのプルタブを引き上げ、プシッと軽快な音が鳴る。沙耶香はつまみを口に放り込み、意味もなく人差し指を机に打ち付けながら、いい飲みっぷりの彼女を見ていた。

「思い出した。沙耶香が学校にメイクをしていってそれがバレて、担任としょっちゅう喧嘩してたね。よく君は言ってたよ。『可愛くなりたいって思って頑張ってメイクしてきて、それの何が悪いんだよ』って」

そんなこともあったな、沙耶香の高校時代の記憶がピンぼけ気味に蘇る。担任の顔はイマイチ出てこないが、顔に似合わない大きな眼鏡をしていたことが印象的な女性教師だった。高校一年生の頃だったか、確かにその人とはよくいがみ合っていた記憶がある。

「あー言ってたわ。あんた覚えてる? あたしが授業中に呼び出されて」
「ああ! あれだろう? 君が担任に『てか眼鏡似合ってねーよ! トンボみたいな顔面しやがって』って言って、それはそれは、凄く怒られたやつだろう?」
「そうそれ、反抗期真っ盛りのあたしがめちゃくちゃに怒られた話。あの人元気でやってっかな〜……まだあのでかい丸い眼鏡使ってんのかな」

かもしれないな、そう綾華と二人で笑い、しばらくは懐かしい思い出話に花を咲かせていた。高校時代の笑い話、二人が初めて出会って言葉を交わした小学生の頃の話、社会人になって友人と一緒に居酒屋で飲みまくった話──付き合いが長くなってくると、こういった過去の話をする機会が増える。ただ単に、長く居すぎて話題がない、というのもないとは言いきれない。ただ何度同じ事を話していても飽きないので、いつの間にかこうして話し込んでしまうのだ。

会話に一段落がついたところで、沙耶香も二缶目のプルタブを開けた。

「あたしは『可愛くなりたい』が口癖だったけど、綾華の口癖はあれだな。『妹みたいになりたい』だ」

綾華は少し目を見開き、そして眉を寄せて微笑んだ。

「ああ……確かにそうだった。あの子は凄い子だから、よく母さんと父さんにも褒められてて。まあ、羨ましかったんだよ」

綾華には一つ下の妹がいる。勉学が特に優秀だったらしい。他にも、美的センスや発想力、文学的才能も見られていた。運動は得意だがそれ以外はさほどであった綾華にとって、そんな妹にはどうしても劣等感を感じてしまうようだった。一時は完全に口をきかなくなるほど妹を妬ましく思っていたと、綾華はそう語る。

「今はもうそんな事ないし、なんなら仲は良いほうさ。この間なんか二人で料理をして、薄力粉を床にぶちまけて笑い泣いていたね」
「テメーはもう料理すんなって、ヘタクソなんだから。綾華の料理が成功したの見たことねえよ。いい加減、まともなモン作るのは諦めな」
「ははは、断るよ。次は美味しくなるかもしれないしね」

そんな日こねーよバーカ──うるさいそんなの分からないだろう──いいや分かるわこのクソ女──なんだい貧乳カス女のくせに。またアホらしい言い合いをして、カラスが驚く程に大きな声で笑った。

酒の進みが早くなり、つまみの数も段々と減っていく。遂に綺麗になった皿を片付け、先程食べていた鍋をおじやにして、二人はさらに酒を飲んだ。コンビニで買ったシャンパンは意外にも美味で、ほどよい強さの炭酸が舌の上で弾けていた。

今が夜中の零時過ぎとは思えないくらいに騒いで、腕相撲大会に発展したと思えばまた下らない事を喋って。そんな時間を二人で過ごす。

「なあ沙耶香。昔の口癖はああだけど、今はどうだろう?」

綾華がふとこんなことを言い出すので、沙耶香は少しの間考える。しかし中々結論が出ないので、思考を止めて頬杖をついた。

「あーあ、こんなこと考えてる暇あったら彼氏作りたい。彼氏欲しい」
「いやわかるよそれ。彼氏欲しいな私も」

綾華はウンウンと頷き、床に仰向けで寝っ転がった。
沙耶香は数秒ぼんやりとしていたが、思うことがありポソッと呟いた。

「……『彼氏欲しい』が綾華の口癖じゃねーの?」

しばし謎の沈黙が漂い、身体をゴロリと沙耶香へ向けた綾華は、不可思議なものを見る目をして言った。

「どちらかと言えば君の、だろう?」

又もやしんとする部屋には微妙な空気が流れる。
ブォンブォンと喧しいバイクの音が遠ざかり、二人の吐いた溜息混じりの独り言は、室内にはよく響いた。


────彼氏欲しい


3/1/2024, 12:05:45 PM