#光と闇の狭間で
自分が属する組織が、正義なのか悪なのかは知らない。仲間の誰も知らない、文面でしか知らない「お上」の指令に従って、必要な情報を得てはそれを文面で「お上」に報告するのが自分の仕事である。ただ、自分が大きな組織の駒であるということだけ理解して、立場をわきまえた動きをしていれば安泰。
のはずだった。
雪が降りしきる中、歩いて走って歩いて、やっと見つけた人目につかない建物の軒下。
(あぁ、寝てしまいそう……)
眠気からくる独特のふわふわとした浮遊感。意地でこじ開け続けているまぶた。しかし、瞳には景色という景色は映らず、彼の視界にあるのは光の白さだけ。眠ってはダメだと頭の中ではわかっている。この状況で眠ることが何を意味するのか、嫌になる程この目で見てきた。
ある日を境に、自分たちは情報を追う側の役回りだったはずなのに、一変して追われる立場となった。以来、「お上」からの指令はない。自分と仲間たちは、ひとまず生き延びるために「お上」の指示にはない逃げるという行為をしている。生まれて初めて、というわけではないが、組織に所属してからは常に「お上」の指示に従って、「お上」の規定と照らし合わせて動いていたものだから、自分で判断して行動するというのはどうにも新鮮で、迷いが生じる。行動が正しいのか間違っているのかわからない。そもそも逃げるという行為が正しいのかも不明だ。追手はなんとなく自分たちと同じ匂いがする、ような気がする。もしかしたら、本当は仲間なのかもしれない。しかし仲間なら銃や刃物を構えて追いかけてくることはないだろうから、やはり敵なのかもしれない。
仲間は一人、また一人と減っていった。追手にやられてしまった者ももちろんいるが、1番の理由はこの寒さだ。降り続く雪、凍てつく寒さ、靴を履いているのにゴム底を突き抜けてくる地面の冷え込み。夜が明けるたび、人数が減っていく。どんなに一箇所に集まって身体を引っ付けあっても、翌朝には誰か一人は冷たくなっている。
そして、今朝。ついに自分一人となった。森の出口、大樹の陰で、これまで何度か意識が危うくなりながらもしぶとく生にしがみついていた仲間が、ついに眠りから覚めなくなった。その凍った寝顔が安らかで幸せそうなのがせめてもの救いだった。
そして、その寝顔の理由を今、自分は知りつつある。ゆっくりと落ちていく意識。空気の中に溶けていく五感。目の前は真っ白で影一つ見えない。四肢の感覚がない。鼓膜は凍ってしまったのか震えない。冷たい空気が鼻腔を刺すが、匂いはわからない。口の中はカラカラで、唾液の味もとうの昔にしなくなった。鈍くなった感覚によって苦痛が遮断され、その反動で多幸感に包まれる。
真っ白な視界に徐々に灰色が侵食してくる。瞼に力が入らない。一瞬視界が暗くなるたびに眼球がクルクルと動いて、どうにか光を映そうと模索する。
灰、黒、灰、黒、黒、灰、黒、黒、黒、灰、黒……
視界が真っ暗になる。おかしいな、座り込んだ場所の斜め向かいには街灯があるから、真っ暗闇ではなかったはずなのに。まだ思考は巡っているが、頭の中も視界と同様に真っ黒で、どんなに脳内で言葉を並べても黒へと溶けていく。どうやら走馬灯が見られるかどうかは人によるらしい。
生き残るのが一番の使命、生き残るのがいちばんの使命、生きのこるのがいちばんの使命、いきのこるのがいちばんのしめい……。
組織に所属した初日にかけられた言葉が脳内でこだまする。そのこだまも次第に闇に溶けていく。
「僕、死ぬ気なのかい?」
組織のリクルーターに声をかけられた時のセリフが頭を駆け巡る。あの日は確か、アスファルトの上で真夏の太陽にジリジリと焼かれていた。背中に火傷の痕が残るほどに。その傷は寒さでジクジクと鈍く痛みを発している。五感の全てが消え去っても尚、残っている感覚。これを感じなくなったら、自分は死んでいるのだろう。
「い……き、る」
もう耳も聞こえないからちゃんと発音できたかどうかすらわからない。ただ、どういうわけだかわからないが、これまで自分から死のうと思ったことは一瞬たりともない。
もう何も感知できないはずなのに、誰かが笑った気がした。確か、あの日も笑われた気がする。いや、ため息だっただろうか。思い出そうとするが、やはり走馬灯は走らず、真っ暗な視界の中で闇色の人影がゆらゆらと揺らいだ。背中の痛みと共に意識が、ゆらめきながら溶けていく。
12/2/2023, 1:53:30 PM