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お題:伝えたい


「こういうメールは開いたらダメだ。
ウィルスが入ってる可能性があるかもしれない。」

真面目な口調で篠崎さんは言う。
もちろん後輩の私は真面目に聞かなければいけないのだが、今の私はそれどころではない。

くっついているのだ。
篠崎さんの肩あたりに。
……ぬいぐるみが。

ピンク色の先が丸いテントようなぬいぐるみだ。
そしてそのテントには可愛らしい目が合った。
足もあり、まるでミニサイズタコさんウィンナーのようだ。

おそらく底の部分がくっつくようになってるのだろう。
なぜか。

それが篠崎さんの羽織ってるカーディガンの、肩の後ろあたりについている。
……なぜだ。

「こういうメールを開くとなんだっけかな、トロイの木馬だとか、マル……マルボロじゃなくてなんだっけかな……?」
「トロイの木馬ですね、トロイア戦争の際ギリシア軍のオデュッセウスによって作成された中に人が入れる木馬。」
「……詳しいな。」

ぼーっとしてる間に口が動く。
もはや私の関心ごとは1つだった。

……どう伝えよう。
普通に伝えたらかなり恥ずかしい思いをしそうだ。
あと気まずい。
きっとあの微妙な空気に私が耐えられそうにない。

「まあいいんだ。
とにかくこういうやつは開くなよ。」

言い終えると篠崎さんは席を立つ。
と、その拍子にぬいぐるみが服から少し外れた。
……なぜか足一本を残して。

篠崎さんはそのまま印刷機の方へ歩いて行く。
歩くたびにそのぬいぐるみはぷらぷらと揺れていたのだった。

……他意はないが、ウッディと呼ばせてもらおう。

篠崎さんは印刷した紙を持って自席まで歩く。
このタイミングでは背中が見えないのでウッディが見えなくなる。

が、この状況。
松井さんには完全に見えているはずだ。
思った通り松井さんが声を上げた。

「篠崎、それなんだ?」
「……?なんですか?」
「いや、そのせな……」

途中まで言いかけた松井さんの言葉が途切れる。
不思議に思って松井さんの方を見ると、彼は篠崎さんの肩の先の方に視線を向けまま固まっていた。

見たところ肩には何もない。
と言うより視線が少し肩より上な気が……。

視線を辿って振り返ってみると、そこには小さな張り紙が張ってあった。

【ハラスメント講習について】

なるほど……。
でも松井さん、ウッディの指摘は多分セクハラじゃないと思います。

そんな私の考えは伝わるはずはなかった。

「いや、なんでもない。気にするな。」
「……?わかりました。あ、後少ししたら出ます。」
「おう、気をつけて行けよ。」

いや、そのまま外に出るのはまずい。
もしお客さんのところに行くなら目も当てられない。

席についた篠崎さんは上機嫌らしい。
少し揺れながらPCをリズミカルに叩く。
そのカタカタという心地よい音に合わせて……
ウッディも揺れる。

まずい。
考えなきゃ。

状況としては、私以外が指摘しても気まずいことには変わらない。
だからこの問題は篠崎さん自身に解決してもらう必要がある。

焦りながら仕事をするふりをしようとすると、先ほどのメール画面が表示されていた。

トロイの木馬。
トロイアの門を自ら開けさせる秘策。

自分から開けさせる。
そうか、カーディガンを脱がせればいいんだ。
カーディガンを脱いだ時にウッディに気づかないはずがない。

自分から脱がせる……。
そんな話がどこかに……。

少し考えて閃く。
そうだ!北風と太陽だ!

私はゴミを捨てるふうを装ってゴミ箱の前まで行くと、エアコンの設定温度ボタンを連打した。
みるみる上がっていく数値。
怪しまれないように素早く撤退。

席まで戻るとひどい汗だった。
ため息をつく。

と、エアコンがうなりをあげ熱風を吐き出し始めた。
ものの5分と経っていないが気温が上がっていく。
狭い事務所のせいだろうか。

「ん、暑いな。
エアコン壊れたか?」
「……とりあえず温度下げます。」

篠崎さんの言葉に野村くんが反応する。
席を移動する野村くんを尻目に、ついに篠崎さんがカーディガンに手をかけた。

篠崎さんの体から離れるカーディガン。
揺れるウッディ。
そのウッディに、篠崎さんの指先が触れる。

よし。
うまくいった。

心の中でガッツポーズをした瞬間、顔を真っ赤にした篠崎さんがばっとこちらをみた。

……あ、私これみてたら結局気まずい空気になるじゃん。

目と目が合う。
そしてしばらくの沈黙。

先に切り出したのは篠崎さんだった。

「あっ、な、なんだろうな、これ。うん。
あの、なんかめんだこ……違った、なんかのタコのぬいぐるみみたいだな、うん。」

完全に声が上擦っている。

「よければあげるよ、ほら。
じゃあ私出かけてきます。」

そう言うとバタバタと荷物をまとめ、足早に去っていった。
……ぽかんとするしかなかった。

残されたものといえば、私の机の上にいるウッディと、

「設定温度、40℃でした。」

という、野村君の声だけだった。

2/12/2023, 11:29:20 PM