だいぶ呑んだみたい。
西麻布のゴルフバーからなだれるように乗り込んだはずのタクシー。気がつくと黄褐色のランプが点滅する舗装路の隅で身を横たえていた。
どこで車を降りてしまったのか何も分からない。
ただ込み上げてくる吐き気と雨に濡れてぐちゃぐちゃの髪が重くてすぐには起き上がれそうにない--
「大丈夫かい」と中年親父の声が耳に入ったのに危機を覚えてギョッと息を止める。
自分が倒れているのがかつて寝ぐらにしていた通りだと気が付いたのは、それから3度目に声をかけられたあたりでだった。
意識のない私が視覚だけでここまで歩いてきたというの?
ちょっとしたつもりで始めてからだんだんハマっていって、でも一度立ち直って昼の仕事もして。
ようやくこの場所から這い出したのに、どうしてこうも中途半端になるのだろう。
うなだれながらまた顔を背けたその時、ハッとした。肩に下げていたロエベのバッグを引き上げようとする力が加わっている。
上体を起こしてバッグを引き戻す。見ると化粧の仕方もままならない幼稚な乞食がバッグを掴んで手繰り寄せようとしている。
私のバッグ! こんな雑巾乞食に!
体重をかけて更に引き返すと骨みたいなそいつは尻餅をついてマンぐりがえる。ノーブランドと思しき安物のスカートがめくれて血の滲んだ下着が見えた。
離してよ! アンタみたいな生きてるのも目障りな乞食なんかに! 苦労して手に入れたんだよ!
詰め物にしかなれねえ能無しのくせに!
乞食が舌を打ってずらかってゆく。
バッグの金具が当たって手首から血が噴き出して痛い。
一連のやり取りを見ていた「普通」の男連れの女がポケットティッシュを渡してくれた。
ねえあなたはその男の子どもを産めるの?
産めないのなら同じだよ。同じなんだよ。
男に費やしたことは同じじゃないか。
何が違うっていうんだよ。
濡れて重たい身体を起こして歩き出す。
私はもうここにはいないのに、こんなに悲しいのはなぜだろう。
お題:この場所で
2/11/2024, 5:13:23 PM