サチョッチ

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君と出会ってから、私は……

 仮面の女は屋敷の縁側に腰掛けて考え込む。白髪を風に遊ばせ、獣のような尖った耳を立てながら、ぼんやりと庭の菊畑を眺める。
君のおかげで私の生活はずいぶん安心できるものになった。あれに付き纏われるようになってから暫くした頃、洞穴の先の鍾乳洞で彼女と出会った。彼女はかつて住んでいた村で差別を受け、鬱屈した心を爆発させた折に村中の人間を虐殺して逃れてきたと言っていた。まだここに一人で暮らしていた私は、初めは保護する目的で彼女を屋敷に住まわせた。それがいざ彼女との生活が馴染んでくると、広すぎる屋敷にささやかな色が増えたようで、私の生活にも心にも変化が起きた。最終的に、彼女をこの屋敷の住人として受け入れることにしたのだった。
 彼女を受け入れたのは、単純に寂しさから彼女を手放したくなかっただけかもしれない。だがそれとはまた違う目的があった。彼女が私に心を開き始めた頃、私は彼女に悩みを告白した。――私に想いを寄せて付き纏ってくる男がいる、と。身寄りを無くしていたことから私に恩を感じていた彼女は、私を脅かす存在から体を張って私を守ると断言した。いざとなったら喧嘩も辞さないと豪語する彼女に、戸惑いながらもこの上ない心強さを覚えた。それ以来、彼女は私の護衛係として、日夜問わず私の側に付き従っている。
 彼女に守られてどれだけ経つだろう。彼女に出会わなかったら、私はどうなっていただろう。あの彼の執念は、いずれ私を狂わせていたかもしれない。ぼんやりと考えながら庭先の菊の色を視線でたどる。

「犬神。」
聞き慣れた声がした。振り向くと、彼女が歩み寄ってくるところだった。しょっちゅう目にする詰め襟姿で長い黒髪をなびかせる姿には異様な雰囲気があるが、彼女独自のものと思えばそれも愛らしかった。何より私も、今のこの屋敷の住人たちも皆同じだ。
「田治見、何か用?」
私はいつものように話す。
彼女はその姿に反しどこかもじもじしていた。
「…さっき、そこで摘んだんだ。あんたに似合うかと思って……。」
後ろ手に隠した手を見せると、鮮やかな黄色の菊の花が握られていた。
「あら……まぁ、綺麗。」
私がそう言うと、田治見は菊の花を私の髪にそっと挿した。彼女は私を見ると一瞬息を呑んだような反応をし、すぐに冷静になって呟いた。
「素敵だ。」
私はくすぐったいような暖かさを覚え、田治見に微笑んだ。田治見は少し頬を赤らめて目をそらすと、そそくさと何処かへ行ってしまった。

彼女に差し出されたさり気ない想いを、私は密かに噛み締めていた。

5/5/2023, 4:26:43 PM