「おかえりなさい」
「ただいまー」
薄暗くなった夕方。
彼女が走り込みから帰宅して早々、キッチンの戸棚から小さな透明グラスを取り出した。
その中に1枚の赤い羽根を入れ、ローテーブルの上に置く。
「よしっ」
かわいらしく満足気にうなずく彼女に声をかけた。
「どうしたんです? この羽根」
「ん? 駅のほうで募金箱持った子どもたちに声かけられた」
「あぁ。もうそんな時期でしたか」
「500円玉と10円玉しか持ってなかったから、ちょっとだけだけど」
ちょっと気まずそうにする彼女は、走りに行くときは財布を持ち歩かない。
慌ててポケットを漁る彼女の様子が目に浮かんだ。
「近所で走り込みとはいえ、財布くらい持ち歩いたらどうですか?」
「誘拐されちゃうから財布は持ち歩くな。身分証明書と500円玉だけ待っていけって言ったのそっちだよね?」
……そうだった。
ハムスターの貯金箱に500円玉を入れ始めたのがきっかけである。
すぐに溢れるからドリンク代と称して彼女にその500円玉を持たせ、財布を持ち歩かせるのをやめさせたのだ。
「そうでしたっけ?」
とりあえずすっとぼけて雑にごまかしてみたら、彼女の眉毛がピクリと動いた。
「発言ごと全部きれいに忘れてるなら、これも外すよ?」
ジャラ……とウエストポーチに重たくぶら下がっているのは防犯ブザーの数々。
走るたびにガシャガシャと騒がしく音を立てるからクマ避けにも最適だ。
「すみません。ウソです。覚えていますからそれは絶対に外さないでください」
軽量を売りにしているポーチが、大量の防犯ブザーのせいで全く意味をなしていない。
彼女から散々文句を言われ続けていた。
「毎回、電池交換大変なんだからお土産感覚で渡してくるの本当にやめて」
律儀に動作確認をしては電池交換をしているあたり、彼女も彼女だと思う。
口に出せば怒られてしまいそうな本音を溢してしまう前に、話題の軌道を修正した。
「でも、なんでこんなところに飾ったんです?」
「んー? ちょっとした風でふわふわ揺れるのかわいいじゃん。赤だからきれいだし」
なるほど。
この赤い羽根は、彼女のよくわからない観察の対象になってしまったのか。
「社員証に貼っつけるまでだから置かせてよ」
「忘れないように気をつけてくださいね」
「ん」
短い返事をしたあと、彼女はグラスに入った赤い羽根をジッと見つめ始めた。
観察もいいが、その前に彼女にはやるべきことがあるはずである。
「こら」
ひょい、と赤い羽根の入っていた透明グラスを没収した。
「先に風呂じゃないんですか?」
「はっ!? そうだった!」
我にかえって慌てて立ち上がった彼女に、今のうちに今夜の予定を伝えていく。
「風呂のあとは飯。飯のあとは俺とのイチャイチャタイムですからね?」
「え。最後のはなに?」
きょとんと首を傾げる彼女が、徐々に警戒心を上げていくがもう遅い。
「なにって、羽根ごときにあなたの視線を奪われるとか冗談ではありませんから?」
「……えぇ……」
うんざりした表情をしてくれるが、このまま放っておけば就寝時間ギリギリまで、赤い羽根の観察タイムに費やされてしまうのだ。
「そんな反応しちゃいます?」
全く。
こんなふわふわふらふらした、ちょっと赤いだけの羽根のどこに魅力を見出しているのやら。
彼女の嗜好は謎が多かった。
「俺としては、その熱烈な視線をちょっとくらい分けてほしいくらいなんですけど?」
「んなぁっ!?」
まだ解かれていない小さなポニーテールの毛先に触れて、指を絡める。
「では。そういうことですから。よろしくお願いしますね♡」
赤くなったほっぺたを唇で軽く突いて、彼女を風呂へ促した。
『揺れる羽根』
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10/26/2025, 8:45:50 AM