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【冬になったら】
「師匠、今年こそ温泉行きましょう。いい街があるんです。どうです、冬になったら雪見風呂でも」
僕の言葉に、師匠は柳眉を寄せた。
「そんな暇がどこにある? どうせ冬場はまた風邪薬の調合で忙殺されるだろ」
師匠がアイスブルーの目を細めると、その表情は実に冷ややかに見える。でも見た目だけだ。肌が白く髪の色も淡い師匠は、色合いのせいか冷たそうな印象を持つ。本当はそこまで嫌がっていないということを僕は知っている。この人は不機嫌な時には喋らなくなるので、返事があるなら大丈夫。
「今のうちに風邪薬を沢山作って預けておきましょうよ」
「余っても足りなくても困るだろう」
「それはそうですけど……」
僕は師匠を、屋敷の主である天才薬師を、ここから連れ出したいのだ。この引き篭もり、放って置くと食料がある限り外に出やしない。その食料だって買い出しに行くのは僕である。
師匠が街を歩くなんてことは滅多にない。あるとしたら往診が必要な時だけど、大抵は患者の方がここに運ばれてくる。国一番の薬師である師匠を呼びつけるなんて王族くらいだ。
だけど僕としては、この世捨て人に綺麗な景色を見せたり、美味しいものを食べさせたり、少しでも良い時間を経験させたい。この世界にはまだ生きる価値があるのだと思って欲しい。
長く生き過ぎたと本人は言う。
昔作った薬を自分自身で実験した時の副作用で、師匠は普通に年を取れない。二十代半ばに見える師匠の本当の年齢を僕は知らない。
幾つであっても、僕にとっては恩人で保護者で先生で大事な人だ。
俺はもういつ死んでもいいんだ、なんて、言わせたくない。
「温泉が駄目なら、滝を見に行きませんか? ナジェルの街の近くにある滝は、寒くなると完全に凍結して、とても美しいそうですよ」
「雪景色ならここでも見れる」
「でも。きっと綺麗ですよ」
「風邪を引くぞ」
僕はつい、ムスッとして恨みがましい目を師匠に向けた。
「どうした」
「だって……冬は僕が生まれた季節なんです」
だから、師匠にも冬を好きになってもらいたいなんて、我儘かもしれないけど……
「君は今年で幾つになる?」
「十八歳です。もう成人ですよ」
師匠は「ふむ」と唸って、顎を撫でた。
「行くか、旅行」
「……え?」
「成人の祝いだ」
「いいんですか!?」
「ただし、しばらく忙しくなるぞ」
「はい。僕、風邪薬いっぱい作ります」
「解熱剤や傷薬もな」
「はい!」
それから僕は頑張った。師匠じゃなくても作れる薬は率先して作り、他の薬師や治癒士に留守を頼み、薬を受け取りに来た城の騎士に旅行の予定を説明した。
そして、僕は温泉街で誕生日を迎えた。国の要人である師匠なので、温泉は贅沢に貸し切りの予定だ。
その日の夕方。師匠が真面目な顔をして、僕の前に一本の小瓶を置いた。
「……薬?」
「薬というより呪いだな、これは」
「呪い……? 誕生祝いに呪いって。中身は何なんですか」
「俺が今のこの体になった、その原因になった薬を再現して、少し弱めたものだよ」
僕は驚いて師匠を見た。
「それって」
「君もいつかは俺を置いて逝くだろう」
今更独りになるのはな、と師匠は呟いた。
「これを飲んだら、僕も年を取らなくなるんですか」
「ああ」
「師匠とずっと一緒に居られるんですね」
「まあ、俺ほど長命にはならないかもしれないし、無理にとは……」
「わかりました。飲みません」
師匠はちょっと傷付いた顔をして、薬の瓶を引っ込めようとした。その手を掴む。
「待ってください。薬はもらいます。でも僕はまだ十八ですよ? せめてあと四年くらい経たなきゃあなたと釣り合わない」
アイスブルーの目が見開かれる。
「二人きりで長く生きるんでしょう。それなら僕は……」
ただの弟子でいるつもりはないので。
蚊の鳴くような僕の声は、しっかり伝わったらしかった。
師匠の白い頰に朱が差した。初めて見る表情だった。僕の顔も真っ赤になっているに違いない。
あ。これ……一緒に露天風呂、入るのか?
これから? この雰囲気で?
僕は内心、頭を抱えた。顔の熱はなかなか冷めそうになかった。
11/17/2024, 1:52:41 PM