シャーデンフロイデという言葉を発明したやつを、俺は心底、尊敬している。
目の前で膝から崩れ落ちた友人を眺めながら、今日も俺は、ぬるくなった水道水を、甘露のように味わって飲み干す。
液晶モニターの中のAI機械音声が、冷淡に、今日の株価の暴落を告げていた。
「なんでだ…俺の人生、全て賭けてたんだぞ!!俺の貯金……俺の人生、めちゃくちゃだ!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、友人は喚き散らしていた。
俺は、右手に持った季節外れの棒付きアイスを齧りながら、それを黙って聞き流している。
「俺の人生、めちゃくちゃだ!」
彼のこの言葉を何回聞いただろうか。
この後はいつも、彼は決まって、ふしくれだった腕で俺の胸ぐらを掴み、浅ましい目をギラギラさせて、こう続けるのだ。
「これも何もかも、お前のせいだ!あの時、お前が俺を止めてくれてれば…!」
彼は、俺の元同期で友人で、俺ん家の居候だ。
同大卒で同僚だったのだが、インフルエンサーに影響されたのか、急に投資を始めて億万長者になるだのと言い放ち、職場を去っていったのだ。
彼が、着のみ着のまま、俺の家に肩を窄めてやって来たのは、それから僅か一ヶ月後のことだった。
曰く、投資に失敗し、金を騙し取られ、グレーゾーンまで引き摺り込まれて、洋服以外すっかり剥ぎ取られて、命からがらここまで来た、どうにか金が工面できるまで、住まわしてはくれないか…そんなことを涙交じりの面で訴えた。
俺は大して驚かなかった。
そうなるだろうな、と前々から思っていたからだ。
彼はお世辞でも賢いとは言えないほどの奴だったからだ。
お調子者で、行き当たりばったりで、時間や信頼にもルーズ。
優先順位や計画、理論的という言葉は、きっと彼の辞書にはないのだろうと影で噂されるくらいの、無計画お花畑男だったからだ。
そして、その欠点の責任を環境と他人に押し付けて、怠惰を貪り、自分の非を受け入れて改めようとしない奴だったからだ。
彼は学生時代から今までずっと、少なくとも俺が知る範囲ではそういう、どうしようもない人間だった。
だから、俺は彼のそんな突飛で身勝手なSOSにも応えることができた。
俺は彼を家に招き入れた。
ダメ人間を飼うことにした。
彼はダメ人間だったが、俺は彼が結構、気に入っていた。
言動はいちいち予想の斜め下で面白かったし、口が重く表情を表に出すのが苦手な俺にとって、表情をクルクル変えて常に騒ぎ続ける彼の存在は、なかなか興味深かったからだ。
それに、彼の存在は、俺にとっても有益だった。
彼の枚挙にいとまのない失敗たちは、ある時は俺を慰めた。「俺の下にはまだコイツがいる」と。
またある時は、俺を戒めた。「怠惰に身を任せて、考えることをやめれば、彼みたいになるぞ」と。
だから俺は、何度約束を破られても彼の友人であり続けた。
彼は、俺にとっての反面教師で、興味の塊で、観賞用生物で、かけがえのない友人だった。
彼がいるだけで、俺の日常は楽しかった。
彼の涙を眺め、涙の理由を解析し、それを肯定し、手を差し伸べながら、内心で失笑し、論い、彼を貶めるのが、俺にはアニメやマンガや本よりも、何よりの娯楽だった。
俺は悪魔なのだ、きっと。
友人の涙の理由を甘い露か、美味い酒肴のように味わう俺は。
自分の生活を切り詰めてでも、彼の自業自得な悲劇と涙の理由を手放せない俺は。
不幸を喰らう悪魔なのだ。
そして、そんな悪魔は存外、ありふれた存在なのだろう、と思う。
友人は、俺の胸ぐらを掴み、しばらく慟哭を上げながら強請っていたが、まもなく息が切れて、咳き込みながら座り込む。
泣き疲れた子供のような、くちゃくちゃな顔で、へたり込み、呆然と床を眺めている。
頬を、涙が一粒、光りながら流れていく。
俺は彼の背をそっとさすってやる。
彼がしゃくりあげる。
「心配すんな、金ができるまで追い出さないから」
俺の猫撫で声に、彼がまた一筋の涙を、くちゃくちゃの頰につたらせる。
「…ああ」
彼が掠れた声を上げる。
彼はとっくに、感謝の言葉を忘れている。
そんなダメさに、甘い満足感を噛み締める。
シャーデンフロイデという言葉を発明したやつを、俺は心底尊敬している。
10/10/2024, 2:38:08 PM