ジャンッ! と張り扇(はりおうぎ)が一閃
「……おや、おひとりお入りでございますか」
重い扉を開けると、笑いの残る暗い客席。
舞台中央には釈台(しゃくだい)の前に座る講談師がひとり。
黒紋付の羽織から品のいい手招きをされる。
近いとは言えないのに、その眼光には夏虫のようにフラフラ惹き寄せられる力があった。
「ささ、どうぞどうぞ。ヱ? 遅れちまッたって? イヤイヤご安心を。
ちょうど、ワタクシが『七十肩がどうにもこうにも曲者でねぇ』とボヤいていたところでして、西川を勧められたんですよ、エぇ。つまりまだ“マクラ”の話」
眉をあげ笑みを浮かべて、扇子で自分の肩をトントンと叩く。
「ここからが本題。むしろ先にいらしたお客様、今頃『あら、プレミアム登録して広告スキップすればよかったワ』なんて顔してますよ」
妙齢の女性の声音を真似る。
「……と、マァお客様がこう、水を打った後のように『シーン──!』と力いっぱい静まり返ってはワタクシばかりが涼しくなるというもので。寒気ァ止まらねェや。ハハハ参った、参った。……皆々様がお暑いとなればどうです、──涼しい話でも一つ」
張り扇を、ジャンッ!
区切りの音が釈台を打ち、講談師、身を乗り出す。
「さァさ! お立ち会い、お立ち合い。お耳を拝借。
今宵、ワタクシが申し上げますは、備中は山あいの寒村(かんそん)に伝わる、薄ら寒い、されど美しき姉弟の契りの噺に御座います──名をば、『隠された真実』。
ア、さてさて──物語の幕は、五月雨の季節も過ぎし頃。
新緑は萌え、夏ツバメの囀りに目を覚ますような、ある晴れた日のこと。
山間の集落におりましたるは、歳の差ひとつの姉弟。
凛として心優しき美しいミノル。
活発でよく口の回るやんちゃ坊主のマコト。
まるで双葉のように、幼き頃より背丈を比べては笑い、互いの影を踏んで育った、仲睦まじき姉弟でございました。幼き子らは“ずうっとこうして一緒にいようね”とサルスベリの木下で互いに微笑みあった」
目を瞑り、静かに間を取る
「……されど。村で一番べっぴんの姉は村長の妾として迎え入れられることと相成った(あいなった)。
マ。この村長というのが大変なオンナ好きのジジイで、村で美しい娘が産まれると次から次へと妾にする。
ミノルの親は彼女が12になったとき白魚の指を擦り擦り、言い聞かせた。
『良いかい? お前はムラオサ様の嫁っこになるんだ。えがったなぁ…えがったなぁ。15の夏だ、あと3回梅雨が明けた晴れの日にまっちろな着物を見せとくれ』と。
姉は『エェ、本に有り難きことです』と表ではにかみながら、独りそっと木の影へ行き泣いていた。
……常にそばに居るマコトが気付かぬワケはない。
気丈な姉がたもとで目を押さえる姿を見つけてしまった日から、弟は何とかミノルを笑わせようと他愛のない嘘八百の話をして、……やがてそっと涙の川が流れる頬に触れ、髪を梳いた。
ヤンチャな笑顔を引っ込めて、戸惑いながら自分より背(せい)の高い彼女を抱きしめた。
月日が経ち、比べずとも判って(わかって)しまう姉の小さな背。手を伸ばすのに躊躇うようになってしまった弟の背中。
心に映るは、あの日と違う“姿”──。
仲睦まじきがゆえに、知らず、越えてはならぬ峠を、越えてしまったふたりの情」
釈台をジャンジャン! と叩く。
決して表に出されぬ忍ぶ慕情。
ついに明日で梅雨明け、婚礼の日だァ。
うつくしく化粧した姉が篭もる小さな小屋。
ハレの日に似合わぬ、雷豪雨の空模様。
小屋の扉がスーッと開く。
姉がハッ! と身をちぢこませ、面を上げて入口を見るなり、ツー……と涙を零した。
村長ではなく、マコトが戸口に立っていた。
『マコト……お願い。姐さんを貴方の御噺みたいに幸せにして頂戴。ねェ仮初の嘘でも貴方といられるお話しを聞きたいの』
『嗚呼。ミノル姐さん、……赦してお呉れ。地獄へも何処へでも一緒に行ってやる』
張り扇、一拍──ジャン!
「囁く声の熱。ふるえる指先。口達者のマコトがしていた御伽噺は、愛を囁く寝物語になった。
神も仏も眉をひそめる、許されざる想い──されど、誰が咎めましょうや?」
背をのばし、客席に語りかける
「雨の音がふたりの声をかき消し、雷の光もふたりのことは照らさなかった。……姉と弟は、寄り添い、震え、
世をはばかりながらも──嵐の晩、確かに、惹かれ合っておったのです」
ジャンッ!
「──さて、ちょうどあれは七夕を7日ばかり過ぎた日のこと。お若い方はご存知ないかも知らないが裏七夕に願い事をしてはならぬという決まりが御座います。何故ならこの日願い事をしてしまうと織姫と彦星を結ぶカササギではなく──鵺(ヌエ)を呼ぶ。
カンタンに理由を申しますとこう数千年も7/7にデェトを重ねていると天帝に『アイツらなんだかこの辺りソワソワしてるな』とバレるんですね。コレは週刊文春と同じです。ワハハ。
そこで織姫と彦星を遠ざけようとする天帝に、ふたりはウソのウワサを流したので御座います。裏七夕──現代の暦で7/14にあたります──に自分たちは逢瀬をしていると。コレを信じた天帝、裏七夕に鵺を放ち夜空を見張らせているようになったとか。……ならなかったとか。
講談でこのように言う時は大概“ならなかった”時にございます。ワハハ。皆様信じちゃあ行けませんよ。語ることは騙ること。信じられるのは事実のみ。
──だがその伝説は如何やら本當(ほんとう)だったようだ。ふたりが契りを交わした晩、村の空に不気味な鳴き声が響いたのでございます。
“ヒュオォ……ヒュウオウウウ……”
それは風の音か、鳥の声か──いや、まるで誰かが泣いているような声であったと申します。
誰が言ったか、ある者はそれが鵺(ヌエ)の声であったと言った。
──その翌朝。
マコトとミノルの姿が、忽然と……村から、消え失せたのでございます」
間を取って沈黙
「村総出で探した探した。──竹やぶの中、川べりの底、甕(かめ)の中に至るまで。どこにも、どこにも、姉弟の姿は見つからない。
どの家からも盗まれたものはなし。まるで、風にさらわれるように、ふたりばかりが消えた。
──誰からともなくこう言い始めた」
講談師、声を落とす。
「『神隠しじゃ』」
トンッ!と張り扇が打たれる。
「願い事を聞きつけた鵺(ぬえ)が二人の男女を、織姫、彦星と見まごうたのじゃ。罪を犯したものは“世にあってはならぬ”。
そんな恐ろしき神意が、いまだ生きておったか──南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
やや身を乗り出して
「村人の中にはまだその話を信じぬ者もおった
──されど」
張り扇、パシッ!
「それから、三年が経ちましょうか。
ある晩──湿度の高い長雨のあと。村外れの小道に、誰かがぽつりと立っていた。
──白い肌に黒髪。
けれど顔はよう見えない。傘もささずに、ぬかるみに裸足で立ってゐる。
声をかけようとすると、霧の中から現れた男の手に引っ張られ、すぅ……っと溶けるように姿を消してしまった」
静かに
「──それを見たのは、村でただひとり、マコトとミノルふたりの幼なじみばかりでございました。
……『あれは、ミノルだった』
彼はポツリと、そう言うたそうで御座います」
「それからというもの、村は誰もあの姉弟について口にせず、墓も立てず、ただただ──''なかったこと''にした。
それでも七夕すぎの、ちょうど今晩。村では仲良く寄り添う鬼火が見えるそうな」
張り扇でトンと釈台を打つ。
外で雨の降り出した音が聴こえる。
「──さてさて、中日の今日はこれを持って読み終わりに御座います」
彼が深くお辞儀をする。
幕がゆるりと降り、やがて彼の姿が見えなくなった。
◾︎
張り扇を置いて、講談師がゆっくりと舞台袖に歩いていく。
──すると。
「マコト」
一人の女性が莞爾(ニッコリ)彼に湯のみを差し出した。
「お疲れ様で御座いました……はい、熱いから気を付けてね」
講談師はふっと和らいだ顔をして、湯のみを受け取る。
「あァ。いつも有難う……ミノル。なァに、お易い御用よ。僕ァ嘘をついてなきゃ呼吸出来ない性分なんでさァ」
ふたりの指が一瞬、重なる。
その薬指には銀の指輪が、同じように光っていた。
蛇の足
「私はねあなたの“嘘”が、いちばん綺麗だと思ってるのよ……」
羽織を脱がしながらミノルが言う。
「あの村を出なかったら。……私は村長の嫁にされてずっと籠の鳥になっていた。“幸せなことだ”と言われて、従うだけの女に」
ミノルが彼の手を触る。
鵺の声を聴いたという話や幽霊の話を流したのはマコトであった。
幼なじみの口を通じてウワサ話が大好物の村民に広めた。だから村の人たちに駆け落ちだと思われずに、無事にマコトとミノルは逃げられたのだ。
「''語るは騙るに通じる''ってアナタはよく言うけど」
「ふふ。ウン、云うね」
「どんな言葉も頭のなかから口へ出してしまえばウソになる。わたしは母にお偉方に見初められれば幸せになると言われた。そうだと思わない……私はね、アナタのつく嘘は一番真実に近い綺麗な“騙り”だと思うンですよ」
マコトは鼻を掻く。
「………ホラ吹き冥利に尽きるねぇ」
そう言って弟は愛しい妻を抱きしめた。
これで本当に騙り終わりに、御座います。
[幕]
お題:隠された真実
7/14/2025, 3:25:41 AM