『泣かないで』
「アンタ、背中が煤けてるぜ」
そんな台詞を昔なにかの漫画で読んだ。
背中で語れとか、背中を見て育つとか、背中を丸めるだとか。
顔も見えない後ろ姿に、我々は勝手に相手の感情を読もうとする。
こんなことをつらつら考えるのは、今まさに目の前で、背中で泣いている人がいるからだ。
本当に泣いている。
それはもうぐっしょりと、スーツの色が変わるまでたっぷり水分が出ている。
これは……汗か?
いやでも涙は心の汗って言うし、と混乱していたら嗚咽が聞こえたので、涙で間違いないだろう。
え、でも涙なら涙でどこから出ているの?背中全体?涙腺の量ものすごくない?逆に汗が目から出るとか?塩気で目痛くならない?
OK、一旦落ち着こう。
何があったか知らないが、ここで会ったも何かの縁。
とりあえず、声をかけてみるか。
放って置くにはちょっとアレだし。
このままでは全身びしょ濡れになる。
−−−−
『冬のはじまり』
オオシダをくぐり抜けて、樫の切り株にエッチラホッチラよじ登る。
すぐにホオジロが遊びに来たので、鞄の中から取り出したクコの実をひとつ分けてやった。
私が両手で抱える真っ赤な実も、ホオジロにとっては一口で食べ終えてしまう。
大食いだなぁと笑えば、心外だとでも言うようにピッピチュピーチューと鳴き声を上げた。
今年は夏が長かった。
年々、暑さが厳しくなっている。
昔は冬の寒さが厳しいとよく言ったものだけど、こんなにも暑さに喘ぐようになるとは思わなかった。
それでも季節はめぐるのだなぁと、葉が色づいた木々を眺める。
もうすぐこれらの葉も落ちて、私の背よりも高い霜柱が立つのだろう。夜の冷え込みもつらくなってきたところだ。
今年もまた、仲良しのリスのねぐらで冬を越す。
手土産の木の実を少し多めに拾い集めるか、と立ち上がった。
−−−−
『終わらせないで』
『ポケットに石を詰めて重りにする方法』
『流し台でバルビツール鎮静剤を作るには』
『死体安置所(モルグ)と死体搬送車(ミートワゴン)』
毎回無言で差し出される本のタイトルが、次第に不穏になってきた。
少し前までは、ミステリーの本ばかりだったのに。
だが、そんなことはおくびにも出さずに貸し出しの手続きをする。
利用者がどんな本を借りようが、詮索してはいけない。
そもそもレファレンスにかけられるもの以外で、利用者の読書履歴に注目することはプライバシーの侵害である。
所蔵されている本は、国民の知的財産であり、行政サービスとしてその知識を得ることを阻害されるようなことがあってはならない。
――の、だが。
『すべてを終わりにする方法』
いつも複数冊借りていくのに、今日はこの一冊だけ。
勘違いの類ならいい。
口を挟むことで、プライバシーの侵害だと怒られるかもしれない。
緊張と不安で渇いた喉を鳴らし、初めてその人に声をかけるべく、口を開いた。
12/1/2024, 3:54:48 AM