「夢へ!」
小さい頃から漫画を描くのが好きだった。
最初の作品はとてもくだらないものだった。うんちマンというヒーローがうんちをして悪者を倒すという話。
そのくだらなさがなぜか面白いと、小学生の頃に一躍クラスの人気者になった。クラスメイトにすごい、天才だと言われるたびに鼻が高くなり、将来は漫画家になる!と卒業文集にも書いたものだった。
しかし漫画家の世界は天才しか生き残れない。ストーリー、画力、話の構成、常人の予想を裏切るようなアイデア。努力すれば必ず実る世界ではない。漫画を描けば描くほど自分の無能さを突きつけられ、いつしかペンをとることはなくなった。
やっぱり俺には無理なんだ。漫画を描く側には行けないのだ。
でも漫画に関わる仕事はしたい、そう思って今の出版社に入社したのだ。
「へえ〜。そういう流れだったんすねえ」
隣に座っている新入社員が全て分かりきったように、うんうんと頭をふる。
俺のジョッキはすでに空だったが、まったく気にしていないようだ。仕方なく、新入社員の前にあるタブレットに手を伸ばして生ビールを注文する。
「あ、俺レモンサワーでお願いします」
新入社員は距離を詰めてタブレットを覗き込んだ。俺はお前の父親じゃないんだけどな。
「課長はもう趣味でも漫画を描いてないんですか?」
正面に座っている中堅社員が肉をひっくり返しながら聞いた。
「もう学生以来描いてないよ。たまに息子にせがまれて絵を描くくらいかな」
そうなんですね、と中堅社員が残念そうな表情を見せてジョッキをあおった。
少しの沈黙が訪れて肉が焼ける音と周りの客の話し声が急にはっきりと聞こえ出した。
新入社員はもう興味が失せたように肉をほうばっている。「おれは世界的大ヒット漫画を生み出したくてこの会社に入ったんです!」と熱く語り上司の俺に「課長はなんでこの世界に入ったんですか?」と聞いてきたくせに。
出版社に入ると世界的大ヒット作を世に出すのもそれもまた努力ではなんともできない運だと思い知った。
どれだけ良い作品でもより多くの読者に届ける必要がある。しかしどれだけアニメ化しようが映画化しようが世界的人気にはならない。俺たちの力だけではどうしようもないのだ。
「全部思うようにいかないことばかりだよ」
ジョッキを傾けながら口の中でつぶやく。
ビールの苦味が口の中に広がる。若手の頃は苦手だったビールも思い通りにいかないことを流し込むうちに気にならなくなっていった。
「俺はどんな手を使ってでもやり遂げますよ。夢なので」
新入社員はレモンサワーを飲み干して言った。
「若いね〜」茶化すように中堅社員が笑う。俺もつられて笑ったが、新入社員の真面目な表情に胸が熱くなる。
若者よ、お前は夢を諦めないでくれ。いつかの俺の夢もその熱で昇華させてくれ。
4/10/2025, 1:32:31 PM