sairo

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小さく切ったちりめんを折ってボンドで固定して、いくつもの花片を作る。花弁を土台に固定して、大輪の花を形作る。
ただ一人のためだけの、一輪だけの花。出来上がった髪飾りを乾かすため、棚の上に乗せる。
新しく咲いた花を見ながら、彼女を想う。髪飾りを付けて笑う彼女を夢想し、馬鹿らしい、と軽く頭を振ってその姿を掻き消した。

――彼女がこの家を訪れる事は二度とない。

自嘲して、出来たばかりの髪飾りの隣に置かれた、別の髪飾りを手に取る。崩れがないか確認して、飾りを手にしたまま部屋を出る。

彼女はいない。心の内で繰り返す。
彼女は死んだ。
残酷なほどに甘く優しい夢だけを残して、あの日彼女は死んでしまったのだ。





「るぅちゃん」

寝室のドアを開ける音に気づいて、彼女の姿を模した人形が声をかける。

「起きてたんだ」
「今起きたとこ。るぅちゃん、また何か作ってたの?」
「新しい髪飾り。昨日作ったのが完成したから持ってきた」

笑みを浮かべ、人形の元へと歩み寄る。手にした髪飾りを見せれば、人形は髪飾りに視線を向け目を瞬かせた。

「最近よく作るね。大学生ってヒマなの?」
「日真理《ひまり》と違って、要領はいいから。日真理と違って」
「なんで二回も言うかなぁ。るぅちゃんが見てた時は、本気を出してなかっただけだもん。本気になればわたしだって何でも出来るはず」

不服だと言わんばかりの声音。だがその表情に殆ど変化はない。
気づかれないようさりげなく人形の顔から視線を逸らし、頑張って、と適当な相づちを打つ。幼い子供の背丈しかない人形を抱き上げて、鏡台の前へ座らせた。

「髪が少し乱れてるね。髪飾りを変えるついでに、整えておこう」

人形の髪に触れ、付けていた髪飾りを外す。櫛で髪を梳いていれば、人形は何かを言いたげに口を開き、しかし何も言わずに口を閉ざしてしまう。
彼女によく似た黒の瞳が、何かを迷うように揺れている。それに敢えて何も気づいていない振りをして、新しい髪飾りを付け直した。

「日真理に似合ってるよ」
「――ねぇ、るぅちゃん」
「何?気に入らない?」

違う、と首を振り、鏡越しに人形はこちらに視線を向ける。
真っ直ぐな眼だ。彼女と同じ眼だった。

「わたし、ちゃんとここにいるよ」

彼女と同じ声音で、人形は告げる。
知ってる、と答える声は酷く震えて、泣いているみたいだと、どこか他人事のように思った。

「るぅちゃん」
「分かってる。日真理はここにいるって…だって俺がそうした。叔父さん達に分骨をお願いして、その骨を人形の中に埋めたのは俺なんだから」
「留叶《るか》」
「分かってるんだ。でも怖いんだよ。何で日真理がここにいてくれるのかが分からない。分からないから、いつこの夢が覚めるのか、魔法が解けるのかって不安で仕方がない」

いっそこんな奇跡が起こらなければ。
何度も思った。そうすれば、彼女に恨まれていると思い込んだまま疾うの昔に彼女の後を追う事が出来たのに、と。

「ごめんね、るぅちゃん」

彼女の声で、人形が囁く。

「ごめんね、また明日って言ったのに約束破って。また明日って、もう言えなくて…でもその時が来るまでは、わたしはるぅちゃんの側にいるからね」

彼女の眼をして、微かに微笑みを浮かべた。


「――ごめん。少し取り乱した。頭冷やしてくる」

人形を抱き上げ、元のベッドに戻す。引き止める言葉を無視して部屋を出た。
深く息を吐く。ドアに凭れ、そのまましゃがみ込んだ。

彼女と会った最後の日を思い返す。
あの日、彼女に一つの呪いをした。

――なりたい人の指を彩ったマニキュアを、その人に塗ってもらえばその人になれる。

よくあるおまじないの一種だ。本気で信じてはいなかった。
だが彼女は死んだ。呪いをしたその帰りに、駅のホームで電車に轢かれ、亡くなった。
突き飛ばされたらしい。同級生の女子に。
前から気に入らなかったのだと、その女子は語ったのだという。殺す気はなかった、少し怖い目を見ればと思っていただけだった、とも。
その真偽は分からない。どちらにしても彼女が戻ってこない事だけは唯一変わらない真実だった。

「バカだな、俺」

手を上げて爪を見る。あの日塗られた下手くそな赤は、時と共に完全に剥げてしまっていた。
あの日、呪いをした事を後悔している。しかし今も縋るように新しい呪いを繰り返す事を止める事が出来ないでいる。
視線を爪から、手にしている髪飾りへと移す。一昨日作ったばかりの、先ほどまでは色鮮やかだったそれは、花が枯れるように色あせ朽ちてしまっていた。

「ごめんな。日真理」

くしゃり、と髪飾りだったものを握り潰し、目を閉じる。
耐えきれなかった滴が、閉じた瞼から一筋零れ落ちていった。



こん、と音がした。
目を開ける。ドアから離れ、振り向いた。
こん、こん、とドアの向こうから音がして、慌てて立ち上がりドアを開けた。

「っ、日真理!?」

目の前の光景に目を見張る。自力で歩けないはずの人形が、ドアの前で仁王立ちしているのを、信じられない面持ちで見つめた。

「やっと開いた。ちょっとるぅちゃん、閉じ込めないでよ」
「な、んで。歩けないんじゃ」
「だから本気を出してないだけなの。わたしが本気を出せばこれくらい」

にやり、とはっきり笑みを浮かべる。
言葉を失って立ち尽くしていると、てちてちと人形は――彼女はこちらに歩み寄り、足に抱きついた。

「日真理」
「るぅちゃん。留叶はわたしにどうしてほしいの?」
「何、言って」

意味が分からない。彼女を抱き上げながら今までとはまったく様子の違う彼女を見つめる。

「良い魔法使いのるぅちゃんのために、何かしてあげたいと思っただけだよ。いいから、望みをいいなさい」
「何それ…って、分かった。言うから髪を引っ張らないでよ」

焦れた彼女に髪を引かれ、半ば自棄になりながら答えると、彼女は手を離し、無言で視線を合わせられる。
真っ直ぐな視線は逸らす事を許さず、誤魔化しもききそうにはなかった。
小さく息を呑む。彼女に望む事など、最初から彼女も気づいているだろうに。

「――日真理。俺とずっと一緒にいてよ。日真理だけなんだよ、俺を認めてくれるのは。だから俺から離れていかないで」

彼女を抱きしめ、望む。くすり、と彼女が笑った声がした。

「うん。いいよ。ずっと一緒にいる。お人形さんになっちゃったけど、それでもいいならね」
「人形でもいい。日真理がいてくれるなら、もう何でもいい」
「分かった。るぅちゃんの側にいるよ」

穏やかな声に、少しだけ体を離し彼女を見る。
優しく微笑う彼女は、そっと小さな手を上げ小指を差し出した。

「約束しよう。一緒にいるっておまじない」

その小指に恐る恐る自らの小指を絡める。
彼女の歌う声を聞きながら、細い糸が小指に絡みつく幻を見て目を瞬く。

それは、最初の呪いに使ったマニキュアのような、目の覚めるような深紅の色をしていた。



20250225 『一輪の花』

2/25/2025, 1:28:58 PM